ゼロインフレは中央銀行が目指すべき最終目標か? その2

                                    1996年9月23日  大和投資顧問  河野龍太郎

 

 今回は「インフレのコスト」について考えてみよう。結論を先に言えば、一般に考えられているほどインフレの害悪は大きくはない。一方で、インフレ抑制のコストは莫大だ。多くの先進国では、すでにディスインフレ下にあり、中央銀行がここからゼロインフレを目指す必要があるのか、前回紹介したように多くの経済学者が問い始めたところである。

 インフレの問題とは何だろうか。明らかにハイパー・インフレーションは問題だ。経済は混乱に陥る。値段は瞬く間に上がり、コーヒー一杯飲むにもトランクいっぱいの紙幣を持ち歩かなければならない。物々交換が復活し、外国通貨が事実上の貨幣になったりする。レーニンが言ったように「資本主義を破壊させる最良の方法は、通貨の堕落(=ハイパー・インフレ)」なのである。しかし、戦後の先進国が経験した物価上昇は、こうした極端なインフレではない。戦後のアメリカで最も高いインフレは、オイルショック期の80年でも13%である。

 一般にインフレは害悪であると信じられている。しかし、社会のインフレへの不満の大半は、実はインフレそのものでないことが多い。例えば、「物価が上がり、暮らし向きがいっこうに良くならない(=実質所得が増えない)」。しかし、実質所得は物価と全く別のところで決まる事を忘れてはいけない。実質所得の低迷は、貨幣的な問題ではなく、労働者の生産性の低さを反映しているのだ。その原因は資本蓄積の停滞や労働者のスキルの低下が理由である。アメリカの所得格差問題を見れば、インフレがその原因でない事は明らかである。

 それではインフレのコストとは何か。インフレが上昇すれば、インフレヘッジのために保有する現金を最小に押さえ、残りは利子の付く銀行預金にするため、銀行に頻繁に通うコスト(靴底コスト)が上昇する。また、製品価格の変更の度に、相手と交渉したり、メニューを書き換えるコスト(メニューコスト)が発生する。しかし、アメリカが戦後経験した程度のインフレであれば、靴底の減り具合ほとんどインフレに関係なかっただろう。また、多くの場合、価格引き上げの便益よりもメニューコストの方が大きく、価格を据え置くケースも多かったことだろう。

 インフレの真の問題を問いかけた時、珍しく経済学者の意見が一致する。インフレの害悪とは、実は物価の高さそのものではなくて、予期しないインフレが企業や家計の意志決定をゆがめ、経済効率を悪化させる点である。世の中には、多くの長期契約がある。ほとんどの経済主体はリスク回避的であり、不確実性を嫌う。例えば、インフレの変動が大きければ、銀行はリスクプレミアムとして貸出金利を高くするだろう。この結果、貸し出し需要は低下する。資金が十分にあるにも関わらず、貸し出されないとすれば、経済の効率性は損なわれることになる。インフレ率が低水準にあれば、インフレ率の変動幅は小さくなり、不確実性は低下する可能性が高くなる。

 しかし、すでに先進各国では、インフレの変動は極めて小さく、効率性が損なわれているとは言い難い。前連銀副理事であるプリンストン大学のブラインダー教授は、アメリカで経験された程度のインフレ率であればほとんど無害であると結論し、MITのクルーグマン教授も10%程度のインフレはわずかな対価に過ぎないとしている。(続く)


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