2006年11月30日(木曜日)

 (23:27)GMがやっと前向きの計画を明らかにした中では、「プラグインハイブリッド」というのが面白いな。家庭用電源で車載バッテリーを充電できるという。これだと、ハイブリッド車の利用が凄く楽になる。トヨタ自動車も開発中とか。

 GMはこれまで次世代の環境対策自動車として燃料電池車をメインに置いてきた。しかしどうやらこれを諦めて、またブッシュも押しているエタノール車にも見切りを付けて、やっとハイブリッドに乗ってきたようだ。エタノール車は注目されているものの、アメリカでさえまだ全米にあるスタンドの中でエタノールを扱っているスタンドは0.4を占めているに過ぎない。

 GMはハイブリッドではBMW、クライスラーと共同開発している「2モードハイブリッド」のシステムを搭載したSUVを07年に、その他も08年に発売するとしている。前向きなことを発表し始めているというのは、会社も動き出したということでしょう。まずは慶賀すべき事です。

 一方でフォードはまだ苦しみ抜いている印象。工場労働者向けの早期退職希望に対して、全労働者の半数弱に相当する3万8000人が応募したという。考えてみれば、これは以下に労働者がフォードの先行きに見切りを付けているかです。削減の目標は達成できても、その費用は膨大です。

 これもあって、GMもフォードも工場などを担保に銀行から巨額の借り入れを起こしている。当然債券は大幅に軟化。日本のメーカーにとってもアメリカのメーカーが弱いのはあまり良くない。アメリカ企業らしくない柔軟性のなさから早く抜けて欲しいものです。


2006年11月29日(水曜日)

 (21:27)ある一つの由緒あるホテルが、明日の朝の朝食を最後に営業を終える。いろいろな思いのある人が、今宵の最後の晩に想いを残すように名残を惜しむ。何十年前にここで結婚式をした人、重い言葉を投げた人、投げられた人。源氏やオリガミで食事をし、地下のバー李白でグラスを傾けた人。

 私は知らなかったのですが、夜一緒に食事をしたスタンバイのスタッフがこのホテルが明日の朝食で最後だというので、食事を終えた後行ってみました。コーヒーを飲みに。

最後の夜のキャピトルの庭の池。蝋燭が綺麗だった  結構凄い人でした。そしてホテルのあちこちに「ありがとう」とか、「こころと心」といった書が掲げれている。従業員は皆忙しそう。でも少し話してみました。ある従業員。「ご夫妻が、私たち.....」とおっしゃる。「ああ、来たな.....と思うのです」と。皆さん、ここで結婚式をした人だそうです。「もう100回くらい聞きました....」と。

 そうでしょうな。私も何年前かに、二人の会社の若手が一週間の間隔を置いて、全く同じ部屋で、全く同じような顔ぶれで、全く同じ食事を用意して結婚式に招いてくれたことを思い出した。結構人気があったように思う。旧ヒルトンだったこともあって、ビートルズが宿泊し、アメリカの有名俳優、歌手も泊まり、そして最近では韓流スターのヨン様も泊まったとか。

 このホテルは間違いなく、日本の政治史において大きな舞台だった。何せ議員会館の直ぐ裏手に当たる。間違いなく、多くの会合がもたれ、多くの取引が行われ、そして集散があったのでしょう。それもこれも夜としては今夜が最後。明日は「宿泊者の為に朝食を出すだけで、昼からは営業しません」と。

 従業員も散る。派遣の人々は派遣元に戻され、東急の社員は全国に散る。名古屋東急が一番人を採るそうです。次が出来上がるのは2010年。随分先です。大きな高層ビルが出来て、その中にホテルが入る。雰囲気は変わるでしょうね。中庭の池には今日は特別に蝋燭の火が浮かべられていた。一杯。写真のように綺麗でした。

 宿泊客は一杯かと思ったら、「今日は半分ほどで抑えています」と。一杯にすると従業員の手が回らなくなるから。NHKが9時のニュースで、「ほぼ満員」言っていたのは推測でしょう。上を見ても窓に明かりがあるところは少ない。

 開場から43年。4年後にはどういうホテルになり、その時の政権は誰が担い、日本はどんな国になっているのでしょうか。


2006年11月29日(水曜日)

 (10:27)あらら、阪神の井川はヤンキースが交渉権を30億円前後で獲得と......。

 実は昨日、関西テレビ番組の中で「井川がヤンキースに入れば、松坂と投げあう。そうなれば、私はまた休みをもらってニューヨークかボストンに行かねば」と言ったら、本当に井川はヤンキースに入りそう。交渉権をヤンキースが獲得。

 しかも、松坂には及ばないが、交渉権は30億円。15億円を超えればと思っていたのですが、それを遙かに超えた。ヤンキースも松坂を取られた時に用意していたお金を、井川に使った形。井川は5年連続二桁勝利の投手ですから、松坂とそれほど差があるわけではない。

 それにしても、アメリカ球団の懐具合は暖かいと言える。イチローが14億円、岩村が5億円。野手に対しては厳しいが、投手だとぐんと値段が高くなる。これは、大リーグでも投手が足りないからです。大リーグはきちんと4日間を置く。しかも井川は左腕の先発可能ピッチャー。大リーグにもあまり多くない。

 こりゃ、面白くなった。阪神ファンは嘆くのでしょうが、どうせだすなら交渉権は高い方が良いと思っていた阪神球団には、朗報でしょう。うーん、来年はちょうと二人がぶつかる試合を見に行けるのか....、行けないのか.....。


2006年11月28日(火曜日)

 (23:27)人間は職業を作る動物だ、と改めて思いました。関西テレビの番組で、「動物園に餌を専門に降ろす業者」というVTRを見ながら。全国の数多い動物園に、生きの良い、多分動物がうまいと思いながら食べるであろう餌の供給をしている。

一宝のおやじさんが作ってくれた卵の黄身の天ぷら。塩で  結構徹底していて、専用の農地を確保し、無農薬で、いきのいい草を生産して、早朝のうちに届けるというシステム。年商が既に5000万円と。これからももっと多くの職業が生まれるんでしょうね。ま、消える職業もありますが、生まれる職業の方が多いと思う。赤坂を歩けば、ヒューマン・ケア産業(足裏とか)の隆盛には目を見張る。

 番組後は、家田さん、吉富さんと天ぷらをいただきに。家田さんと一緒になるのは今回で二つ目の番組ですが、いままでは食事をしたこともなかった。とにかく次々と本を出す人で、最近もこの本を頂いた。心にしみ入る本です。あの小さい体から、そういうエネルギーがどこから出てくるのかと。

 もともとは女優志望だそうでしたが、23歳から本を書き始めて今113冊目だそうです。年間3〜4冊出すそうで、徹底した取材派。「極妻」初めヒット作数多く、いくつかの賞もとっている。興味深い人です。いろいろ話が出て3人で面白かった。

 食事をしたのは、久しぶりに一宝さんでした。相変わらず、あのシステムがよい。いままでこの大阪の店シリーズは公開してきませんでしたが、各種揃ったので公開します。一宝のおやじさんにまた良い店を教わりましたから、自分が行ったら書きます。大阪は東京の人間が思っているほど食べ物でもモノトーンではない。多様です。

 おやじさんが一つ面白い天ぷらを揚げてくれました。たまごの黄身の天ぷら。吉富さんが写真を送ってくれたので掲載しますが、なかなか面白い味だった。「何でも天ぷらに出来るんですよ.....」と親父さん。本と言えば、吉富さんからは大阪破産をもらいました。この本も面白そう。


2006年11月27日(月曜日)

 (19:27)「小泉前首相と森前首相をニで割った人 ?」.....造反議員の復党問題に対する安倍首相の決断を見て、そう思いました。

 小泉首相はその長期政権を支える非常に賢明な手段として、「イシューの純化」を時々国民に見せて決断を迫ることによって、その人気を保った。その前の政権が、イシューの純化を避けて古い言葉を使えば「自民党的解決方法」をとって自滅していったのを見ていたのか、それとも直感で「逆が良い」と考えたのかは知らないが、とにかく政治手法を変えたのである。「自民党的解決方法」をもっとも体現した体質を持つのが森前首相だった。態度、発言、体型....。少なくとも私はそう思っている。

 郵政を巡る造反と自民党からの排除は、その「イシューの純化」の中で生じた。それを復党させるということは、「イシューの曖昧化」を意味し、「純化」の中で小泉政権の政策を支持した国民の声を無視することになる。いろいろな新聞が「復党に反対」の世論が57〜59%に達すると報じているのは、この間の事情を物語っている。

 「復党させることによって来年の参議院選挙を勝てると思ったら、間違っているよ」と小泉前首相は述べているという。慧眼である。なぜ郵政選挙で国民は「イシューの純化」を選んだのか。それは時代の大きな、また日本にとっての大きな曲がり角に今という時代があって、日本という国が時に問題を純化して決断して進むしかない、と国民が判断した結果だ。それ以前の曖昧模糊とした自民党的政策では、今後の日本の舵取りは無理だ、と判断したからだ。

 日本の曲がり角はいっぱいある。人口動態もそうだしし、アジアの冷戦もそろそろ終わろうとしているし、中国やインドという新興国の台頭もある。戦後のシステムが経年疲労していることは明らかだ。だから、時に問題の純化と荒っぽい舵取りが必要なのだ。小泉首相はそれを知っていた。

 自民党の対にいる民主党があまりにもだらしないのでその通りになるかは分からないとが、安倍さんが森さん(とその手法)に接近すればするほど、支持率は落ちると思う。逆に小泉路線の「”時に”イシューを純化させ、国民に選択を迫る」という手法を取れば、安倍首相の人気は回復するだろう。

 なぜなら、日本の舵切りはまだまだ始まったばかりで、政治がそもそも妥協の産物であり曖昧模糊が付きものであることを斟酌しても、「決断の時」的政治手法の方が国民には分かりやすいからだ。私には安倍首相にそのことが分かっているのか、やや疑問に思う。


2006年11月26日(日曜日)

 (19:27)早朝にメキシコ市を発ってロスに行き、そのままノースウエストで成田へ。メキシコ市からロスへの機中では、メキシコを含めて世界6カ国、10カ所近くに自動車部品工場を展開しているという一部上場の会社の社長さんと隣り合わせになって、いろいろ話が出来て面白かった。スタンバイの熱心のファンだそうで、「いつも7時から20分聞いています」と。

 展開している工場は、メキシコを初めカナダ、アメリカ、中国、インド、タイなどで、さらにインドにもう一つ、あとは東欧を考えていると。二人で意見が一致したのは、「自動車産業はまだまだ30年くらいは伸びる」という点。中国で、そしてインドで需要が生まれている。これは止められない、と。

 その上でこの社長さんが言ったことが面白かった。「戦線が伸びますから、うちでも各地でマネージャーを見付けるのが大変なんです。工場マネージャー不足です。うちでこうなんだから、トヨタさんは大変でしょうね」と。そういえば、私の従妹は自動車会社に勤めているのですが、その手の話がいろいろあると言っていました。

 さらにもう一つこの社長さんが言っていたことで面白かったのは、日本の自動車技術は結構いろいろなところに流出している、という点。日本の半導体技術が、週末出稼ぎ(リストラの渦中にあった日本の半導体技術者が90年代に週末を利用して韓国でアルバイトをしていたと言われる問題)のように、自動車業界でも日本の団塊の世代の技術者の流出によって韓国を含めていろいろなところに技術が流れている、というのです。

 私は検証する手段を持ちませんが、「そういうこともあるかな」という印象。「ヒュンダイ(現代)が強くなったのは、そういう事情もある」とこの社長さん。半導体もそうでしたから。とすれば、日本という国は企業も国も何よりも大事な人という財産の生かし方が下手だなと思いました。零戦闘機は優秀だったが、パイロットを守るシステムが充分ではなく、それで優秀なパイロットを大勢失ったと聞いたことがある。

 半導体でも自動車でも、今まで会社を支えてきた社員が海外に行って働かなくてはならないシステムしかないとしたら、残念なことです。それは逆を言えば、団塊の世代がもっている様々な技術なり、ノウハウはまだまだ使えるべきだし、国内で生かす方法を考えた方が良いということでしょう。
 ――――――――――
 もう一つその社長さんと話したのは、北米対立の自動車市場の多様性です。メキシコもそうですが、物流はほとんど車で行われていると思われる。高速道路を走っていると、本当に多くの種類の車に出ある。日本ではとんと見かけたことがない大きなトラック(日本では見なくなった前が出っ張っている奴です)、SUVやCUV(SUVより小型の乗用車ベースのユーティリティーカー)、それに実に数多くのピックアップトラック。

 車種は日本の市場よりもはるかに多様であり、それらが私が70年代に見たような「傷だらけ」の形で走っているのではなく、皆綺麗に、そして整然と走っている姿は、「アメリカが実に大きな自動車市場であること」を実感する。中国もインドも国土は大きい。アメリカのような大きな市場に育つのかどうか。その時に、日本の自動車メーカーの地位はどうなっているのか。


2006年11月25日(土曜日)

 (24:27)ノガレスを午前中に去って、エルモジージョから再びメキシコ市に。どえらく「無駄っ飛び」の多い移動。だってメキシコ市はミシガン州から見ても、墨米の国境からもはるかに南。目的地はアメリカとメキシコの国境に近いところだったので、本当はメキシコ市を行きも帰りも経由する必要はなかった。

 しかしちょうどアメリカが感謝祭の人口大移動期に当たったこともあったし、またタイム的によい飛行路を確保できなかったので、結果的にこういう移動になった。ま、良いこともあるもので、メキシコ市では私が28年前に同市を訪れたときに非常に繁昌してたサントリーさんでキッチンを預かっていたという神田の生まれの江戸っ子の方に会えた。元気で「富士」という店を切り盛りしていらっした。階段を上がりに上がったところが炉端焼風のカウンターに。

 メキシコ市は夜について早朝に去るために、当時と比べてどういう状況かは分からないと思う。当時は歩くところ歩くところに、物貰いが一杯居たように覚えている。またゆっくり来たい街である。アメリカと比べてメキシコについて感じたことは

  1. 大事なことなので真っ先に書くが、食事が美味しい。肉は北米全体が同じだと思えたのであまり褒めないが、メキシコは魚介類が実にうまい。ラテンの血が入っている彼等には、魚介の料理のこつが分かっているように思えた。特にエルモシージョの二カ所の店で食べた「魚介スープ」は、新宿の三笠会館(ここの魚介スープは逸品だった)がなくなった今では、私には秀逸に思えた

  2. メキシコは確かに全体レベルとしてはアメリカより賃金水準は低いが、だからと言って物価も安いので、普通の賃金をもらっている人々には特に暮らしにくいと言うことはないように見える。しかし、賃金格差(アメリカ10、メキシコ1の感じ)は、「より豊かになりたい」「アメリカで夢を見たい」という人々を大量に生んでおり、これが人々をアメリカへとかき立てている

  3. メキシコの人々は陽気である。フォードの自動車工場の中でも、どこでも我々が行くと手を振ってくれる。道で会えば、ブエノス.....と。特にメキシコ市の土曜日の夜は凄かった。金曜日も人々は盛り上がっている。しかし陽気だけで終わっているわけではない。日々の生活にも困っている人の割合はアメリカよりもよほど多いだろうし、一定期間アメリカに行って働けば、メキシコでは家が建つ現実も厳然としてある

  4. 全体的な印象は、ブッシュ大統領が今進めているような政策を続けてどのような壁を作ろうとも、メキシコサイドの人々に国境の北に行きたい事情があり、国境の北のアメリカには南のメキシコからくる働き手を欲しい現実がある限り、いかなる人為的手段もこの人の流れを止めることは出来ないだろう。今でも不法組織が不法移民を食い物にしている現実があるのに、これを弾圧すればもっと闇に入り込むかもしれない

  5. メキシコをアメリカ並みに豊かにすれば良いとか、メキシコの人々を教育すれば良いというのは正論である。しかしそれは相当先の話のように思えた。メキシコが豊かになっても、アメリカを目指す不法移民は中南米、アジアを含めて数限りなくいる。だから、アメリカの政界も国境の一部に壁を作って政治的ポーズを取って不法移民対策をしていることを国民に示しながらも、結局はメキシコ(およびその他の国)からの移民をある程度許す方向に舵を着るのではないか
 ということだ。ジャーマン・シェパードに追われても、「また明日トライする」という3人の若者、南の州から来てノガレスの近くからアメリカに50キロ入ったものの警備隊に捕まって戻されたものの、「あと数日中にもう一回」と言っていたスワレス。スワレスは12人で越境し、アメリカ国内に入ってからちりながら逃げたと言い、「何人かは成功しているかも」と。

 そういう成功例が彼等の周りにある限り、浸透圧のようにメキシコからアメリカに抜けたい圧力は、アメリカへの人の流れを止めはしないだろう。


2006年11月24日(金曜日)

 (24:27)エルモシージョから車で3時間あまり北上したアメリカとの国境の町ノガレス(アメリカサイドにも同名の街がある)では、実に大勢の人に会いました。アメリカサイドから見ての「不法移民」、またはその予備軍や、それらの人々を救助したり、支援する人々。

街の中の国境は高いフェンスになっているが、フェンスの下には掘った後も。山に行くと簡単な車止めになる  メキシコの南部のベラクルス州で自動車整備工をしていたものの、この州で発生した政情不安で約半年間も商売あがったりになって2000ペソ(2万円ちょっと)をもってこの街に1000ペソ以上をかけてバスで来て国境を突破。しかし、アメリカ領に50キロ入ったものの捕まってメキシコに送り返されながら、「機会があったらあと数日の内にもう一度トライしたい」と言い切った35歳のホセアンヘル・スワレス。

 たまたまこの男性と同じ州出身で、故郷では他の家の家事手伝いをしていた子供一人の女性で、国境を越えたもののやはり捕まって子供ともども送還され、「もうあんな危険な事はしたくない。故郷の家族と連絡が取れてお金を送ってもらったら戻りたい」と言っていたシクラリオ・オリバレス(34)。この二人はともに最終目的地をニューヨークと言った。

 国境を越えて1キロ入ったところでアメリカの国境警備に見つかって、ジャーマン・シェパードを放たれて命からがらメキシコ領に戻ってきた3人の青年。この3人の顔は事態がついさっき起こったことを如実に示すように、また犬に追われた恐怖感をついさっき味わったことを物語るように引きつっていて、かつ汗びっしょりだった。ちょっと小太りの青年の服には枯れ草が一杯こびりついていた。地面を転がるように逃げてきたのだろう。

 3人はノガレスから130キロほど南に離れたエルモシージョとノガレスを結ぶ街道沿いの街サンタアナ(我々も通過した)出身で、最終学歴である中学の同級生で、今は20〜21歳。彼等は前回のアメリカ不法入国(国境線を不法に越える形での)は成功してアメリカ国内で建設業に携わっていたものの、6ヶ月働いたところで他の15人と一緒に見つかって強制送還され、「またトライしようと思って」と今回は失敗。しかし「明日か、またあさってかにトライする」と明言。最終的にはツーソン(国境から来るまで約1時間)か、それより「もっと深い(北の)アメリカへ」と。

 国境付近のメキシコサイドを「最近歩いていなかったから」と言って歩いていた中年の男性。こちらの問いかけにアメリカのパスポートを見せたものの、そのパスポートは紙の質から言って明らかに偽造パスポートで、夕方国境地帯を歩いていたことから、多くの不法移民がそうするように「夜でのトライ」を画策していると思えたかなり頭の毛が薄くなりかけた男性。

 これらの人々に出会えたのは、メキシコとアメリカなどの国境地帯で正規ルート(ビザとパスポートを取って)で渡るのではなく、不法に渡ろうとして失敗してアメリカの国境警備隊にメキシコに連れ戻された人々、それにやっとノガレスまで到着したものの、その過程で有り金を取られ、到着しただけで途方に暮れている人などを助ける政府組織であるグループBETAの人々と約5時間に渡って行動をもとにしたため。

グループBETAの人々と国境のすぐ近くで  彼等との出会いは大きかった。彼等のオレンジの車に乗せてもらって、不法移民が国境の有刺鉄線をまたいでの、または潜っての渡米によく使う場所まで連れて行ってもらった。酷い山道の先の山の上だったが、まさに現場に行けたという意味では迫力のある工程だった。当たりにはつい最近越境を試みたメキシコの人々がもっていたであろうボトル、着るもの、それに毛布が散乱していた。グループBETAの事務所は写真の通りで、ソノラ州では現在全部で14人が働いている。この事務所にいたのは、3人である。

オフィスBETAの事務所。車と同じオレンジ色である  不法にアメリカに渡ろうとする人々はどういう連中か。話を聞いていて、やはり「アメリカに豊かさを求めて」いる人が多かった。犬に追われた3人の青年の話では、彼等はアメリカに不法入国していた6ヶ月の間に建設業に携わり、週に500ドル以上もらっていたという。月にして2000ドル、円にすれば23万円ほどだ。これはメキシコでの同じ仕事を軽く10倍を超えるお金だという。「労働賃金10倍」の誘惑。これは強い。しかも国境の高いところで見ると、すぐそこだ。

 自動車修理工のスワレスは、メキシコでは週に1200ペソから1500ペソ(120ドルから150ドルの収入で、月収は5000ペソから6000ペソで、ドルにして500ドルから600ドル、円にして6〜7万。子供連れのオリバレスは月500ペソの収入だったという。つまり6000円。どういう経緯で子供が生まれたかは聞けなかったが、「子供を育てるにはつらい手取りだ」と言っていた。それも越境を試みた一因だろう。「ニューヨークに誰かいるのか」と聞いたら、特には居ないが、メキシコの人はたくさんいると答えた。アメリカとメキシコの賃金格差は圧倒的に違うのだ。

 「加えて」とグループBETAの事務所の所長であるエンリケ・パラフォックス氏(38歳、しかももう孫がいると言っていた)は、「一つの要因は夢だ。アメリカに行きたいという人々は皆夢を持っている。アメリカに対する。我々はそれが現実とは違うと説得するが、アメリカにいる親戚や友達、メキシコ人の間で広がるアメリカに対する夢の方が大きい。それに誘われて彼等は不法侵入を試みる」と言う。このアメリカへの、または自国以外への夢は、豊かになった日本人だって持っている。しかしメキシコ人にとってみればより大きいのだろう。

 不法入国を試みる人達は、危険を承知していた。彼等は多くのケースに置いて、不法に移民を試みる際に強盗にあったり(越境を試みる人はお金をもっていると思われる)、「アメリカに連れて行ってやる」と甘い誘いをかけた移民組織(コヨーテ、ポジェロなど)に騙されたり、暴行されたり、女性だったら乱暴されたり、そしてなによりもアメリカに入ったら場合によっては警備隊に発砲されることも知っている。つまり危険だということを知っている。それでも行くのである。なぜか。それは、実際にアメリカへの不法入国を試みたメキシコ人の三分の一は成功しているという説があるからだ。だったら自分もと思う。

車での侵入防止を目的とする山の中の国境は、簡単に越えられる構造になっている  グループBETAの人達に深い山のてっぺんの国境線に連れて行ってもらって分かったことは、国境を越えることはいとも簡単だということだ。写真の通りで車での突入を阻止する目的で(車を使えば、アメリカに入った後素早く逃げられてしまい、警備隊でも対処できないから)鉄道線路を使って頑丈に作られてはいるが、高さは1メートル程度で地面から3本ほどさびかかった有刺鉄線が張られているだけ。上を越えることも可能だし、有刺鉄線の間を抜けることも可能だ。実際に私は体を入れてみた。いとも簡単に抜けられた。つまり、メキシコからアメリカへの越境自体は、場所を選べば実に簡単なのだ。問題は越境した後、国境警備隊につかまらずにいかにアメリカの都市や、不法移民を欲しがる農場にたどり着くかである。ここには危険が一杯。二日険しい岩だらけの山道を歩いて50キロアメリカに侵入しても、ホセアンヘル・スワレスのように捕まってメキシコに帰されることがある。

 捕まったスワレスはその時の様子を、「私は最初だったこともあってか、アメリカの警備隊の対応は10本の指の指紋をとられたくらいで、丁寧でした」と。グループBETAは越境してアメリカの警備隊と遭遇したときの対応として、

  1. 大きな声を出すな
  2. 拳銃を持っていると思われるな(手を下にやるな)
  3. 抵抗するな
 などを指導しているという。複数回越境を繰り返しているような連中はアメリカで長く監獄に据え置かれることもあるが、そうでない場合はバスに乗せられて国境まで連れ戻されてメキシコに引き渡されるという。つまり越境は簡単に出来る、その後も例え捕まったことを考えても常に身体に危害を加えられるとか、命を奪われることはないと言うことだ。危険だが、ある意味で安全でもある。ここでは日常だ。だから多くの人が越境からアメリカへの溶け込みを試みる。

 しかし、時にはアメリカの国境警備隊も一人で20人ほどの移民に取り囲まれるときもあり、警備隊の方が恐怖に駆られるなどの事情もあって、越境から逃亡のプロセスが「危険との隣り合わせ」という事態は変わらないという。それでも彼等はアメリカに入りたいのである。繰り返すが、彼等の周りにアメリカへの不法入国に成功し、お金を貯めて故郷に家を建てたような人が一杯いるからだ。つまり成功体験が身近にある。誘惑には抗しがたい。

 アメリカへの不法入国を試みる人々(メキシコ人、中南米の人々)は男性が70%、女性が25%、子供が5%という。年齢層では19歳から35歳までが圧倒的に多く、学歴は一般的に低いようだ。彼等の越境必需品は冬だったら毛布、コヨーテなどの動物から身を守るニンニク、水など。夏だったら、塩分の入った点滴水なども。しかし時には走らねばならないので、越境してからはなるべく身軽になる努力をするという。3人の青年などお金を含めて全く何ももっていなかった。「あそこに見える村に行けば友達が居る」と国境の向こうのアメリカの村を指さした。

 BETAの人は、彼等がチョウチョと呼ぶ場所に我々を連れて行ってくれた。そこには毛布が何枚も放置され、ボトルが散乱し、残されていたものから「ついさっきまで人がいた」という状況。「夕刻にこういう場所に来て寝て、夜になって越境して逃げるのだ」とパラフォックスは言う。

壁の下にも掘られた穴。この穴を不法組織の連中が使った可能性あり。壁も下を掘られれば無力  アメリカ側もそういう事態は知っていて、どこからとなく監視していて、2000キロもある国境を使っての越境そのものを阻止するのではなく、入った奴をどうとっつかまえるのかを考案しているという。その為に、赤外線を使い、カメラを使い、衛星を使い、犬を放ち、加えてかなりの近代兵器を使っているという。むろん、カメラも見回しただけでいくつも見えた。だから、アメリカサイドはメキシコサイドの動きをグループBETAの動きとともにかなり知っている可能性が強いという。

 グループBETAの活動は、アメリカサイドも不法侵入者の死亡事故を防ぐ目的などで認知しているという。しかし形グループBETAの活動は、メキシコの一政府機関が不法越境を支援しているように見えるが、この点に関してパラフォックスは、「私たちは幇助はしていない。彼等はメキシコにいる間は何ら罪を犯したわけではない。罪を犯したわけではない人が、山の中で倒れたりしていたら助け、故郷に帰るのを助けるのは当然だ」と述べた。しかし、故郷に帰らず、二度、三度と越境を試みる人が多いのも確かなのである。

今日の越境は犬に追われて失敗。肩を落として去る3人の若者。「明日またやる」と彼等。こうした人々は後を絶たない  どのくらいの人がメキシコからアメリカへの不法な越境を試みるのかに関しては統計はない。なぜなら、捕まるのは失敗者で、成功者はそのままアメリカ社会に消える。しかし、少なくとも毎日数千人、多ければ数万人と言われる。つまり一大産業なのだ。そこには暗躍する業者がいる。かつてはコヨーテという組織があり、今では麻薬もあつかうポジェロがある。彼等は時に不法入国者をアメリカに届け、時に不法入国者を襲って金品を遅い、時に越境を希望する女性を乱暴する。また、自分たちが手引きしない越境者に対して強盗を働く。ノガレスの街には、事情を知っている人間だったら「あれだ」と分かる連中がたむろしている。彼等はメキシコ南部、中南米など出身地別にそれぞれの出身地の人を手引きするべく、時には故郷にいるときから応募者を集め、時にはノガレスで客を集める。

 全体に言えることは、失敗への恐怖はあるものの、罪の意識はないし、実際に所得水準が違い、知り合いもたくさん行ってお金を稼いで故郷に家などを建てているのを見ると、別に殺されるわけではなく送還されるだけだと考えれば、「何度でもトライする」というのが当たっている。しかし彼等の顔を見れば、明らかに緊張感が漂っており、「良いことをしている」という認識ではない。うしろめたさも多少はあるし、恐怖感もある。

 アメリカサイドの需要も見逃せない。安い労働力が欲しいという現実があるからだ。きれい事を言っても、南部の農場にはメキシコからの不法移民が必要だし、アメリカ各地の建設現場もそうだし、ニューヨークのタクシー運転手にも必要だ。だからアメリカの議会には、「一定程度の期間、模範的な市民でありつづけた人間については、市民権を与えるべきだ」という意見が強いし、多くのアメリカ人は「我々だって移民だったのだから」と好意的な姿勢を示す。その一方で、犯罪や社会の安定が崩れることを懸念する人々もいる。多くの予備軍や失敗者の話を聞いていると、何らかの形で彼等の不法入国を待ちかまえている、期待している人々がアメリカサイドにいる。

 ブッシュが大きな壁を作ったらどうか。これに関しては、「多少越境がきつくなる」という見方もあるが、「ほとんど変わらないだろう」という意見が強かった。それはトンネルを掘ったり、アメリカサイドの当局者を抱き込んだ大がかりな組織的な動きをしてみたりという形で、アメリカサイドにも移民を欲しい現実があるから。つまり国境の両側に需要があるわけで、壁を作れば解決するという問題ではない。そこのこの問題の深さがある。
 


2006年11月23日(木曜日)

 (24:27)エルモシージョは、メキシコ北西部、北はカリフォルニア州に接するソノラ州の州都であり、人口は80万人。どんどん増えていて、もうすぐ「100万人になる」という大きな都市です。岩山に囲まれたエルモシージョを空から地図で見て、左に1時間走るとカリフォルニア湾。海が近いと言うことは、海産物がうまい。魚介スープなんて最高でした。メキシコは全体的にあのアメリカに比べると、食事のレベルが段違いに高い。

 この右側の写真では分からないのですが、街全体が岩山に囲まれている。その一つのテレビ塔が林立している岩山の途中まで上っていったのですが、「この岩山はどうして出来たのだろう」と思うほど急峻で、平地に溶岩が吹き出たのかなと思わせる。火山岩が直ぐに顔を出しているのです。そして、そこにはなんて書いてあるか知らないがグラフィティーが一杯。

 街の周辺を走ると「この街は発展している」と直ぐに分かる。道が整備され、工場団地が造成され、そこにフォードの組み立て工場が建設され、さらに部品工場が集まって「フォード村」が出来ている。

 その周りを走ると、ソリアーナというメキシコ北部で力をつけつつあるスーパーマーケットが・センデロ店(sendero)という大きな店舗を作っていた。中に入ってみたのですがそれはそれは広い。商品が堆く積まれていて、その間を大勢の人が歩いている。聞いたら、その日が開店セールだったそうで、そう言われるとアイスクリーム屋などはまだ素材調達が出来ていないのか開店できていない。店員は寄り集まってぺちゃくちゃ喋っていましたが。

 そこを、大きい人、小さい人が入り交じったちょっと「ああ、これがメキシコの人達」という感じの人達が、買い物をしている、というか見学している。その近くにはまた、民間デベロッパーが開発したであろう新興住宅街が広がっている。かなり大きい。この住宅街に移り住んだ人々を狙って、大型スーパーが出来たという印象。

 その新興住宅街に誰が移り住んでいるのか、というとフォード村の人達というのが当たっているようです。工場が出来れば人が集まり、店舗が出来て、そして住宅ができる。ちゃんと回転している。それが、メキシコ・ソナラ州の州都であるエルモシージョ。

 対して、工場閉鎖になっているアメリカのミシガン州では、一部の閉鎖された工場から人が居なくなり、その周りの商店が寂れ、そして地域の住宅に空き家が増え、そして人口も減るという寂しさ。実に対照的な姿であった。

 ところでこれまで集まった以下の業界用語に加えて新たにいくつか。

  1. やおや
  2. せっしゅ
  3. わらう
  4. ピーカン
  5. えんかい
  6. 満充
 でしたが、今日は
  1. なぐり
  2. ばみる
 今年の6月インドをご一緒した林さんから
 業界用語ですが、マージャン用語が意外と使われています。

 例えば「だまてん」。意味はいろいろな局面で使われるのでこういうことですとは言いにくいのですが、マージャンと同じような感じです。例えば、ノーアポで撮影するとか、あまり良くないのですが無許可で撮影するなどというときに「だまてん」という言葉を使っています。業界用語としては、あまりいい言葉ではないかもしれませんね。そのほか、取材にイーハンつけるとかなど業界にはマージャンの好きな先輩が多かったのでしょう。

 ははは、「だまてん」ね。でもマージャンでもそうですが、充分高い手の時はわざわざ「リーチ」とは宣言しない。こちらの手を見せるようなものですから。分かるような気がする。しかし最近は慶賀すべき事ですが、各方面の権利意識が強くなって、なかなか「だめてん」は難しい。

 「取材にイーハンつける」とね。何を付けるのでしょうか。ひと味、それとも.....


2006年11月22日(水曜日)

 (24:27)空から見て、「汚いな......」と。空気のことです。メキシコ市にさしかかったところで見えた富士山みたいな山、最初は一つに見えて、そのうち分化してくるメキシコ市の上を明らかにスモッグと思われる空気の層が覆っている。メキシコ市は盆地で、70年代の後半に来たときから「公害」が言われていた。今もその状態が続いていると言うことです。

 見覚えがあるのですが、北から来ると富士山のように綺麗に見える山がある。それが冠雪していて、かなり綺麗ですが、空港に近づくに従ってそれが八ヶ岳ではないが、分かれているのが分かる。空気が綺麗だったらもっと山々も綺麗に見えたはずなのに。「今はまだましで、風がなくなる年明けから2月が酷い」という。

 席の隣に日本の若い男女が。聞いたらシカゴのノース・ウエスタン大学に企業から留学していて、MBAの取得中だとか。二人ともそうだと思ったら、ご夫婦で奥さんは付いてきていると。カンクンで4泊5日のバケーションと言っていました。そう言えば、アメリカは23日から民族大移動。感謝祭はアメリカ人にとって一年で一番大きな祭日。日本もお休み。

 メキシコ市は乗り換えだけで、その日にエルモジージョに。ここは初めてです。アメリカとの国境に近い。車であと3時間の場所。今度は熱い。シカゴの摂氏ゼロ度近い寒さから一転して、夕方5時過ぎでも30度近い場所に。しかしメキシコがいいのは、食事がうまい点にある。肉も、海のものも抜群です。しかも安い。

 食事の時に「もっとないか」とプレッシャーをかけたら、出てきました。

 昨日紹介したのは

  1. やおや
  2. せっしゅ
  3. わらう
  4. ピーカン
  5. えんかい
  6. 満充
メキシコ市を覆うスモッグ。まだこれでもましだとか  でしたが、今日は
  1. なぐり
  2. ばみる
 を。「なぐり」とは「金槌」のことを言うのだそうです。「ちょっと、なぐりを貸して.....」みたいに。金槌は殴りますから。「ばみる」は、「位置取りを決める」という意味だそうです。俳優などが立ち位置を決める、そうするとカメラの動きも決まってくる。「ばみってくれなきゃ、困るじゃない」ってな感じ。

 昨日紹介した業界用語に関しては、多くの方からメールを頂きました。堀江さんと内藤さんからは「せっしゅう」について。お二人によると、「せっしゅう」はハリウッドで日本人役で活躍した早川雪州だそうです。

 堀江さんは、『古い俳優のことです。背が低いため台に載せて他の俳優とフレームにうまく収まるようにしたことから来ているようです。「下駄を履かせる」ということです』として、内藤さんは『「戦場に架ける橋」(第2次世界大戦の時、ビルマのジャングルに英国人捕虜を強制労働させて橋を造った日本軍の中佐?が早川雪洲。映画はアカデミー賞をとり話題になりました。早川雪洲は米国で俳優として活躍していました。』と。

 アラン・ラッドについては、映画「シェーン」の主演俳優だと二人がおっしゃる。内藤さんは、「イタリア女優のソフィア・ローレンと共演し、船上でキスシーンを演じたとき、あまりにもソフィア・ローレンの背丈が高かったので、アラン・ラッドが踏み台に乗ってキスシーンを演じたのが話題になりました」とし、堀江さんは娘のシェリルラッドは、テレビシリーズのチャーリーズエンジェルの第2シーズンから出ていた女優兼歌手です」と。

 うーん、確かにニューヨークに駐在していたときにチャーリーズ・エンジェルズ(ABCテレビの人気番組だった)はよく見ていて、「シェリル・ラッド」はよく覚えている。

 また「満充」については、「30年電気屋 名無しの権兵衛」さんからは、『30余年の電池屋です.”満充”とは,電池の世界で一般的に言う”満充電(電池を容量(=中味)が100%になるまで充電することをいう)”の4つ字化(four letter words)させたものでしょう』と。なるほど。

 「わらう」がなぜ「どかす」になったのか意味を調べていたら、ネットでこのページにぶち当たりました。しかしここには、「えんかい」とか「満充」などがない。せっかくだから、彼等が思い出す限り掲載していきます。


2006年11月21日(火曜日)

 (24:27)右手人差し指で買い物ができるアメリカのスーパーうーん、やっぱりアメリカはサービス産業が凄い、と思いました。ホテルの近くのスーパーに買い物に行ったのです。ちょっとしたものを。そしたらスーパーには結構人がいるのに、レジ係が二人ぐらいしか居ない。8レーンくらいあるのに。物を買った連中が勝手にレジを通過して行っている。

 どうしているのかと見ていたら、買い物客は自ら買った商品をバーコード・リーダーの上を通し、それが終わったらレジに備え付けられているクレジット・カード・リーダーにカードを通し、出てきた紙にサインして出て行っている。多分バーコード・リーダーを通さない商品があれば、警告が鳴るようになっているのでしょう。

アメリカのスーパーにある寿司バーの表示  もっと驚いたのは、右の写真に示した「Pay With Your Finger」です。写真の通り、右手の人差し指を指紋リーダーにかざして認証を得ると出て行く方式。その場合でもまず買った商品をバーコードに全部通すのだと思います。ということは、一端自分の右手の人差し指をその系列のスーパーで登録すると、右の人差し指一本で買い物が出来る、ということになる。代金はアメリカですから小切手か、それか銀行引き落とし。

 このシステムはまだ新たに始まったばかりのようで、そのための宣伝も始まったばかりの印象がした。かつ、実際に右手の人差し指で買い物をしている客はいなかったように思う。まだこれからでしょう。しかし、ナイスな試みだと思いました。まだレジの前で長い列を作っている人も居ましたが、これは新幹線の切符を買うのにまだ長い列を作っている普通の日本の人々を考えれば良い。隣のマシンでカードでいくらでも素早くチケットゲットが出来るのに。最初は抵抗感があるものです。

 一つ面白かったのは、デトロイトでもスーパーの中に「Sushi bar」が出来ていること。まあシカゴはそれはそれは大きな、そして横に太い人が多い国ですから、「日本食は、そしてその代表選手である寿司は体によい」となれば、それをスーパーでも買いたいと思う人は多いのでしょう。

実際にかなり売れていた寿司の棚  売れ行きを見たら、結構なものでした。実際に買っている人は居ませんでしたが、残っているものを見ても、すっごく長く残っていたという印象はしない。チーズとかそういうコーナーに互して寿司がコーナーになっているのだから、それは人気があるのでしょう。

 火曜日の夜の食事会は、なかなか面白かった。カメラさん、音声さんなどがいるので、業界話になって、「こういう言葉を知っているか」という披露大会になった。私が知らなかったものを記します。

  1. やおや
  2. せっしゅ
  3. わらう
  4. ピーカン
  5. えんかい
  6. 満充
 楽しい話も出た食事会「やおや」というのは、例えば本を撮影するときなど、寝かせていた状態から少し傾げることを言うのだそうです。値札の感じですかね。

 「せっしゅ」というのは、日本の昔の俳優で「せっしゅう」という名前の人が居たそうですが(わたしにはすっと顔が浮かばない)、その人は背が低かった。で、そのひとはいつも踏み台の上で仕事をしたそうです。アメリカだと、アラン・ラッド(これも知らない)という人らしい。つまり、背の低い方を他の人と並べる作業を「せっしゅうする」と言っていた。それが今はつづまって「せっしゅ」に。から、「せっしゅする」に。

 「わらう」は「どかす」を意味するらしい。これは誰も語源を知らなかった。「ピーカン」は、雲一つなく晴れている状態を言う。ま、意味は通じる。「えんかい」が面白い。カメラマンにとってしばしば邪魔なのは、照明の足なんだそうです。足を扱うのは「照明部」(今も映画会社にはあるそうです)。その「照明部」は宴会をやると必ず足を出すことから、「えんかい」とは「足が出て居るぞ」ということらしい。

 最後は「満充」。うーん、渋谷の女性達がこれを使い出したら、私は笑う。文字通り、満たし充満させることを指す。「うーんこのケイタイは満充になった」といった。カメラは普通は電池で動く。そのカメラのバッテリーを充分充電することが「満充」だと。皆、二人の高橋さんから教わりました。

 この「満充」は、もちろんいくらATOKでも一発では出てこない。


2006年11月21日(火曜日)

 (19:27)去年までのブルーの日本のイリュミネーションに慣れた目には、シカゴのミシガン・アベニューの今年のイリュミネーションの黄色は、ある意味で新鮮でした。特に見た瞬間は。今年の六本木の色は何色かまだ知りませんが、赤プリは今年もブルー基調だった。

 「Nordstrom」というホテルの近くのデパート(一緒に入っていたのがコンラッドでした)からウェスティン・ホテルまでミシガン・アベニューを少し時間をかけてイリュミネーションを楽しみながら歩きましたが、街は完全にクリスマス・シーズン入り。

 なにせ、店でかかっている音楽もクリスマス・ソング。夜7時過ぎても人並みは切れずに、シカゴは一段と安全になったのだな、と思いました。人々が着ているものも綺麗だし、何よりも車が綺麗になった。まあこれはアメリカ全体に言えることですが。

 Nordstromに入ったのは、ホテルの近くだったという以上にニューヨークにはなかったと思えるデパートだからです。ミシガン・アベニュー沿いにはサックス・フィフスやメーシーズがありましたが、わざわざシカゴにまで来てニューヨークの代表的デパートに入ることはない。

 それに関係するのですが、今回シカゴの街を歩きながら、「これはある意味で面白くないことだ」と思いました。つまり、世界中の大都市が一緒になっていまいつつある。ニューヨークのデパートがシカゴに来ているだけなら分かる。問題は、コーチ、ベネトン、グッチ、ルイ・ビトン、ブルガリ、ゼグノ.......などブランド・ショップです。

 中に入っても、何ら銀座や青山のそれらと比べて変わっていない。それは商品の配置は変わっているが、売っているものはシカゴだろうと、ニューヨークだろうと、東京だろうとあまり変わっていない(ように見える)。多分上海でも、北京でも、そしてニューデリーでもそうだし、ベンガルールでもそうです。ロンドン、パリ、ベルリンも、そしてモスクワも。

 つまりこうです。「世界中の都市は、その景観と売っているものにおいて、特徴を失いつつある」。それぞれの都市とそこに住む人には、ブルガリも、ゼグノも、そしてルイ・ビトンも必要なのかもしれない。しかし、各地を歩く人間にとっては同じような店が世界中の大きな都市にあるのは重複のように見える。シカゴは確かにビルも道幅も大きいが、マンハッタンのアベニュー・オブ・アメリカスとそれほど違いがあるわけではない。一方通行と両面通行の違い程度。

 これは来年早々に日経新聞さんから出すインドの本にも書いたことなのですが、途上国を含めて世界の都市が同一化の方向を走る中で、その国の個性とは田舎に、そして農村に宿ってくるのではないか、ということです。今は都市へ、都市へと人々の意識は流れている。しかし、世界中で同じブランド・ショップを見せられる我々はたまったものではない。

 道も世界中で高速道路を走るよりは、地方のローカル道路を走った方が面白い。なぜなら変化があるからです。世界中の高速道路は面白くない。このままだと、世界中の都市は「ハイライズのビルの乱立の中で、同じようなブランド・ショップが巣くう人の多い地帯」に成り下がる危険性がある。そう思いました。

 だから恐らく、世界各国の豊かさの差は、農村の豊かさの差になって顕現化するはずです。アメリカはその点では間違いなく豊かです。GMの経営者よりも進取の精神と柔軟性に富む、そもそも独立心の旺盛な農民がいる。無論集約化の波は来ていますが、そこで生き残った連中はなかなか強者です。

 日中は、特に午前中にハイライトが。今度CMEと合体するCBOTに行って、オープン・アウトクライ方式の取引をフロアに降りて開始前30分から開始後40ほどまで、約1時間10分も見せてもらいました。これは今日一番面白かった。

 まあよう言ったものです。「オープン・アウトクライ」とは。体育館のようなところで、それぞれの取引ブース(トウモロコシ、大豆などなどアグリ中心のフロアでした)に人が集まり、大声で叫んでいる。アグリの他にはCBOTには金利、為替などのファイナンシャルのフロアがある。

 そのフロアにカメラ共々おろしてもらいました。でかい連中が大声で叫んでいる。主にトウモロコシのオプション、トウモロコシのフューチャーズ、それにエタノールのフューチャーズを中心に見ましたが、実に活発な取引が行われている。いずれ絵になるでしょうから、楽しみ。

 CBOTに来たのはこれが二回目でしたが、最初は見学者フロアから見ただけ。今回は取引フロアに降ろしてもらいましたから迫力が違った。良い経験になりました。


2006年11月20日(月曜日)

 (23:27)夜からシカゴに入りましたが、今までで一番寒い。ニューヨークも寒いそうですが、まあアメリカも Thanksgiving Day が近づけば自然ですかね。

E.85を宣伝するアメリカの車  それにしても、今朝のウォール・ストリート・ジャーナルに「Visitors decry U.S. entry process」と。全くその通り。実に煩雑で、最後に「Have a nice trip」と一言声を掛けてくれるが、それ以前の飛行場での搭乗手続きは面倒です。この煩雑さもあって、アメリカを訪れる外国人(カナダ、メキシコを除く)の数は、2000年のピーク時に比べると17%も減少しているという。

 特に、アメリカのドメスティック・フライト(国内路線)に乗るときにチケットの右下に「SSS」と記されていたら、もう諦めなければならない。厳しいセキュリティ・チェックが待っているのです。「SSS」になったら、なるべく荷物は預け荷物にして、機内持ち込みは最小限に。

 なにをするかというと、我々の場合は以下のように処理された。

  1. まずチケットとパスポートと取り上げられて、荷物とジャケット、コートを預け、靴も脱ぐことを要求される。ブレスレットと時計、ベルトも取ることを求められる
  2. 次に並んでデトロイトの空港では「爆発物検知器」(smiths)に入ることを求められる。これはITルームに入るときにエアを当てられるような印象のする一種のゲートのようなマシンで、時々周りから空気が当てられる。デトロイト空港のセキュリティに聞いたら一年くらい前に導入されたと言っている
  3. そこを通過したら今度は、手荷物検査になる。鞄の中を含めて全てを検出対象とする。黒い検知器(先に)をようなものを取り出して一つ一つのものを取り出すと言うより、特定の反応を見ている印象
  4. それらをすべてクリアして、やっと出て行って良いと言われる
 全行程は20分以上。アメリカの国内航空に乗るときは、少し早めに行かないと予定していたフライトに乗れなくなる。短期間で各地を回る人間にはちょっと耐え難い。

 それは置くとして、今日一番強く思ったことは、「約30年間も同じ問題を解決してこなかったアメリカの自動車業界よりも、アメリカの農家の経営者一人一人の方がよほど経営理念に優れ、自分達が置かれている環境に敏感であり、革新的である」ということである。

アイオワのトウモロコシ集積場  デモインの近くのエイムスの農家の方々に会ったのです。近くに出来たエタノール工場に投資している人達に。もちろん、トウモロコシも生産していて、それを工場に売っている人もいる。彼等の言葉は、最新の経営をしている経営者のように刺激的で面白かった。

  1. 我々は日々新しいと思っている。我々はお互いにでも競争している
  2. 大学に行き、金融を学び、テクノロジーを勉強して、自分たちが置かれている環境をいつもチェックして、それに対応している。コープでも勉強会をしている。そうしないと変化する環境で生き残っていけない
  3. 農産物をエタノールにしていることには、一つの変化だと考えている。トウモロコシはエタノールを生産した後は飼料として使われる。今まで一つの役割しかしていなかった穀物が、二つの役割を果たしているという意味では、そもそも食料を燃料(エタノール)に使っていることに複雑な感情はない
 実にはきはきしている。頼るべきは自分の農家経営にあっては、「誰かに頼る」ということもないから、自然と自立心が育まれ、今という時代の情報を自分で集める気力があるのだろう。凄く印象に残った取材先でしたよ。


2006年11月19日(日曜日)

 (23:27)宿泊していたミシガン州ランシングからアイオワ州のデモインに移動してきています。日本から見るとあまり違わないように思えるが、時差が一時間ある。ちょっと戸惑いますね。そのたびに時計を戻したり、進ませたり。面倒なので、PCの時計は日本時間のままです。しかしケイタイの時間は目覚ましに使う関係があるから、ほっておけない。

遠方にサイロが見えるデモイン近郊のアメリカの農村地帯  それにしてもアメリカは広い。トウモロコシ畑の中を走ったのですが、前も後ろも道がまっすぐ延びているだけ。本当にまっすぐなのです。ニューヨークの近郊はこういうことはなかった。もう収穫は終わって土が掘り起こされた土地が延々と続く。こんなにゆっくりとアメリカの農村地帯を見たのは初めてだと思う。

 アメリカの新聞は面白い。地方色がメチャ強いのです。デトロイトとかランシングに行くと開けば自動車の記事が山のように載っている。デモインでは一面トップの中央がトウモロコシの絵ですからね。この新聞をもって一軒の農家を訪ねましたが、面白かった。そこに近所のおじちゃんも遊びに来ていて、最近のアメリカのトウモロコシ農家の実情を聞きました。

 私が驚いたのは、アメリカの都市における住宅価格の上昇や、一方でのその沈静化が一般的に言われている。しかし私の感覚ではニューヨークなどでは住宅価格、土地価格の上昇はまだ続いているし、アイオワの農家に聞いたらトウモロコシ価格の上昇に歩調を合わせるようにここの農地も過去10年で2倍になったという。コンピューターでシカゴの相場を見ながら自分の収穫分の売り時を考える農家の人々。

 日本は米で先物相場を禁じていますからそういう光景はないのですが、世界で一番最初に商品相場の市場を持ったのは日本。大阪の堂島です。それを考えると、ちょっと日本の伝統がアメリカで今イキイキと生きている感じがする。


2006年11月18日(土曜日)

 (24:27)ホントにびっくりしました。皆で食事を済ませて打ち合わせをし、ちょっと一寝入りした後に目を覚ましたら突然ケイタイ電話が。当地夜の12時ちょっと過ぎの日曜日に入ったところ。誰だろうと思って電話を取ったら番号が非表示。聞こえてきたのはインド英語で、パトナのラマヌジャン数学アカデミーの経営者であるアマンド・クマールさんでした。

デトロイトにインドから電話の主  彼とは六月にインドで別れたきりでしたが、今回電話してきたのは彼が日本に来るとかいう話ではなくて、「あの時のビデオに出ていたIT会社の社長の名前はなんていったっけ」と。顔は直ぐに思い出しましたが、名前が思い出せなくて「調べてメールする」と返事。彼とは一度メールを交換していますから、メーラーで「kumar」で検索すれば分かる。

 まもなく思い出して、「ビピン・トヤギ」さんでした。ははは、彼とは6月にインドから帰ってきて直ぐに林さんやドヴァルさんと一緒に東京で西麻布のアイスバーで時間を過ごしたことを思い出した。ちょっとした偶然です。

 ところで、飛行機の中のアナウンスメントから分かっていたことですが、デトロイトやその周辺は東京から来た私にとっては寒い。到着時が摂氏7度。しかし、ここに既に数日活動してきた4人の方々にとっては、「今日は風もないし暖かい」そうで、こちとら「そうですか」と言うしかない。夜は寒そう。

 うーん、アメリカの中西部に来たのは90年代の終わりに来たシカゴ以来です。確かあのときは冬ではなかった。デトロイトの空港で見かけた右下の写真は、下に広告主として「フォード」と出ていますが、一つアメリカが目指している道(road)です。

It is not just a interstate
It is a road to the future.
 と書いてある。「interstate」というのは州際ということで、アメリカの主要道路を指しますが、それが「未来への道」でもあるというのはどういうことか。

 それは「E・85」がエタノール85%の割合でガソリンと混ぜ合わせた「エタノール燃料」を指すからです。今年のブッシュの年頭教書の中にアメリカのエナジー・セービング施策の大きな柱として名前が挙がったのは「エタノール燃料」。下にトウモロコシの絵が見えるのは、アメリカではエタノールをトウモロコシから取っていることを示している。もう一つのエタノール大国であるブラジルはそれを主にサトウキビから作る。

 ひょんなところからデトロイトの空港で知り合ったバイオ関連の博士号を持つ内ヶ崎さんによると、「エタノールは植物だったらなにからでも出来る」そうで、お米からも出来るそうです。アメリカは草からエタノールを作り出す研究もしているという。まあでも日本で「米からエタノールを作る」とはなかなか言えないでしょうな。一番効率が良いのはサトウキビだそうです。

エタノール燃料推進の広告(デトロイトの空港にて)  この「E・85」はアメリカで注目されているのですが、問題がある。それは10月にニューヨークにいたときに自動車アナリストから聞いたのですが、全米のスタンドの約0.4%でしか扱っていないこと。このアナリスト(ニューヨーク在住)が「E・85」を入れようとしたら、ワシントンDCまでいかないと行けないというのです。だから実用化はまだずっと先。

 夕食はホテルでしましたが、リスク分散思考から5人で皆が違うものを頼んで、それを小皿をもらって少しずつ分配して一挙に5食分トライしようと。そうすれば、それぞれの何か好きなものがあるだろうと。

 当然予想したが、相変わらず量が多い。そして我々の周りを歩いているアメリカ人を見ると、凄く太い。だからウェートレスの女性に敢えて、「いつも思うのだが、食事の量が多すぎると思うのだが、アメリカの人達はこれを全部食べるのか?」と聞いたのです。

 そしたら彼女曰く、「私も多いと思う。でも皆が期待するからこうなった。でも食べきれないから、結構な人が家に持ち帰るんです.....」と。そりゃそうだろう。そうした方がいい。しかしそれでもやはり食べるから、男性も女性もすごくおなかが太く大きい人が多い。

 見ているとアメリカ人の食べ方も悪い。私の飛行機の隣に座ったアメリカ人はデトロイト在住と言っていましたが、見ていたらサラダをほとんど食べない。そして出てきた肉はきれに食べていた。私は逆でしたね。ブッシュが国境に建設しているフェンスについてどう思うかと聞いたら、「That is not a good idea.」と言って、「それをメキシコの教育費に回したら良い」と。まあでもそれも迂遠な話です。

 私を入れて5人。なかなかの強者揃いです。夕食の時「どんな取材経験があるか」で盛り上がった。初日にして既にハプニングもあり、これからが楽しみ。目的はここに項目で示したようなことですかね。


2006年11月18日(土曜日)

 (14:27)今朝起きたら、「今日もまた良い天気」と思える日差し。しかし望ましいことに寒くもなってきている。今週火曜日、水曜日と京都にいましたが、全く紅葉の気配はなかった。ちょっと残念でした。

 夕方のノースウエストでデトロイト入りして、あとは10日間ほどアメリカ、メキシコです。ケイタイ電話は多分転送されます。ケイタイメールは転送されません。ご連絡は電話は、「ycaster@gol.com」へのメールでお願いします。

 デトロイトは寒そう。


2006年11月17日(金曜日)

 (17:27)ははは、長いセミナー、というかシンポジウムで最後はちょっと疲れましたな。しかし全体には面白かった。やはり、いろいろな話し、いろいろな意見を聞けるのがよい。

 「第25回PHPシンポジウム」というのが紀尾井町のニューオータニで。始まったのが午後1時30分、終わったのが午後5時45分ですからね。こんなに長く付き合ったのは久しぶり。

 去年は「憲法改正」がテーマだったそうですが、今年は「日本経済の先を読む」というもの。 まだHPは出来ていないようで。

 基調講演は竹中元大臣とビル・エモットの両氏。パネラーは私以外は伊藤元重さん、加藤寛さん、丹羽宇一郎さん、それにモデレータとして草野厚さん。加藤さんは何回もお会いしているのですが、今回は足を悪くされたようでちょっと大変そうでした。80歳ですからね。丹羽さんは忙しそうで、途中で退席されました。

 誰が何を言ったかは書きませんが、「サラ金への規制が消費抑制と意味で日本経済への打撃になる」「戦略は細部に宿る」「景気はもともとは気の景色から来ている」など面白い発言があった。ディスカッションはちょっと外れたところもありましたが、全体的には面白かった。
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 そうこうするうちに、明日からデトロイト、メキシコ取材となりました。今回の取材は来年の1月1日にNHKBS1で午後10時から2時間放送される分の「地球特派員スペシャル」です。来年もまた元旦からおじゃまして申し訳ない。でも、メンバーも結構面白いし、取材もきちんとする。面白い番組になると思います。お楽しみに。

 ということで、暫くこのコーナーも切れ切れになるかもしれません。


2006年11月16日(木曜日)

 (23:27)夜11時過ぎにBS2を見たらクリント・イーストウッドが出ていて、国谷さんと対談していた。聞いていてなかなか面白かった。人間の複雑さを映画に素直に出せるところがこの人の特徴ですが、「良い人、悪い人と決めつけられる人なんていない」と。

 知らなかったのですが、ちらっと聞いていたように気がするのですが、不遇の時代があったのですね。彼にも。今76歳だそうですが、「今ベストを尽くしている。引退する理由はない」ときっぱり。去年のミリオンダラー・ベイビーも面白かった。「人が死ぬのは、もうやることがなくなったとき。私にはいっぱいある」とも。

 父親達の星条旗/硫黄島からの手紙の前者も最近見ました。「英雄なんかいない。英雄は必要から作られる」という最後の言葉が印象に残る。この映画は、普通の戦場映画ではない。英雄でもない三人が、「国債を売るために必要とされる英雄」に祭り上げられていき、しかしその後は悲しい人生を送ることになる運びが良い。ここでも彼の人間に対する見方が示される。

 硫黄島からの手紙も12月には封切られるようなので、楽しみに見ようと思います。
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 ところで面白いメールをくれた人がいました。ボストン・レッドソックスが松坂との交渉権獲得のために支払った金額は5111万1111.11ドルですが、「そうだったら、何年間かの年俸を6000万ドルにして1億1111万1111.11ドルにしたら」と。ははは、これには笑いました。

 メールを送って下さった方には感謝。ナイスな発想でした。


2006年11月15日(水曜日)

 (11:27)5111万ドルね。5000万ドルを出す球団がいるといけないので、「1111」を付けたと言うことですか。だって端数でおかしい。相手を意識したということです。それはヤンキース ?

 それにしても邦貨で60億円。大変な金額ですね。ただ松坂を保有しているというだけで西武に入る。昨日も書きましたが、年間の全選手の年俸を全てまかない、加えて余ったかなりの金額を他の事業に回せる。松坂は本当に孝行息子だったということです。

 しかし本当に松坂はレッドソックスが意中の球団だったのでしょうか。私はその南だったと見ている。ニューヨークは日本人コミュニティーもあるし。しかし、今のシステムでは選手は球団を選ぶ権利がない。ちょっと問題のあるシステムです。

 あとは球団が松坂とその代理人に対して年俸を何年契約で行うかです。また3年で3000万ドルとか4000万ドルが卓上に上がる案でしょう。レッドソックスは100億円を総額では支払う可能性が高い。

 楽しみはありますよ。もう大ベテランのカート・シリングとローテーションを組むことになる。ちょっと投げ方が似ていると私は思う。シリングは松坂にとっても良い教師になると思う。イチローとの入札額との差はちょっと気になりますが、昨日も書きましたが「松松対決」は当然面白い。

 うーん、また来年はニューヨークに行かないと。無論、ボストンでも良いのですが。


2006年11月14日(火曜日)

 (25:27)ここまで多くのメディアが報道するのなら、レッドソックスが松坂との交渉権を競り落としたのは確かなんでしょうな。MLBのHPがそれを報道していると言うので見てみたのですが、その記事はあくまでも「reportedly」であって、スポーツ専門局など他のメディアの報道を引用したものでしたが、その後もレッドソックス説は次々に出てきている。

 箝口令が敷かれている割には報道が多い。それだけ関心が高いと言うことだと思いますが、今見たらニューヨーク・タイムズも「レッドソックスだった」として、その入札金額を約4500万ドル、約53億円としている。西武と交渉がまとまり、最終的に松坂がレッドソックスに行けば、このお金が西武に入る。間違いないのは、西武はこの53億円で今の全選手の年俸を払える上に、残ったお金を他の事業に回せる。

 MLBのHPの記事を読んでいたら、面白い事が書いてある。ポスティングシステムで今まで一番多額のお金で動いたのは、オリックスのイチローだったというのです。その時のお金が1310万ドル。その時の為替レートを忘れましたが、ドル価で見ても松坂の価格は約4倍。じゃ、「イチローと松坂のプライスの違いはそれほどあるの」ということになる。私はないと思う。

 時代状況が変化したにしても、本当にレッドソックスがそれほどまでの値段を提示して松坂獲得の交渉権を得たのにはどういう背景があるのかと考えてしまう。レッドソックスはこの西武に払うお金とは別に、少なくとも年間1000万ドル、11億7500万円を松坂本人に支払うことになる、と米メディアは見る。だから、松坂獲得球団の総支払い金額は松坂が「3年契約をするとして100億円」といった報道が出てくる。

 最初私は「レッドソックス」と聞いたときに、「本当かな」と思いました。それほど裕福な球団ではない。ヤンキースほどという意味ですが。MLBのHPには、一つ面白い解説があった。それは「ヤンキースに比べて極東との関係が薄かったレッドソックスが、それを確立したかったから」というもの。

 MLBのHPが指摘していたのは、ヤンキースは読売と提携関係にあり、その関係の中で松井を採った。そうしたアジアとの関係をレッドソックスが松坂獲得を契機に作りたがっている、というのだそうです。

 今年ヤンキースで一番勝ち星を挙げたのは台湾の王建民で、確かにアジア出身の選手が徐々に大リーグで目立ってきている。イチローもいるし、城島も居る。名前は知らないが、韓国出身の大リーグ投手も何人かいる。そういう中で、長期的な視点からヤンキースに対抗してレッドソックスが松坂獲得に大きな一歩を踏み出した、とは言える。いずれにせよ、ニューヨーク・タイムズの報道でも「レッドソックスの入札額を桁外れだった」と書かれている。ヤンキースもびっくりだったのでしょう。

 日本人の15日の午前10時ですか。正式な発表を待ちたいと思いますが、どでかいディールになったものです。53億は本人には入らないのですが、まあ行ってからずっと注目される選手になるんでしょうな。高校時代からだから、それには慣れてはいるのでしょうが、英語とか関門はいっぱいある。

 ということは、松井 対 松坂の「松松対決」が見られると言うことです。ま今回の入札では、「レッドソックスの入札はヤンキース妨害の為」とも報道されただけに、不正がなかったか、レッドソックスが一転して松坂との交渉ではしぶちんの年俸提示しかしないのではないか(その結果、松坂は渡米を拒否する可能性だってある)など、いろいろな可能性が残されている。

 ま、今の状況だと例えレッドソックスが競り落としたにしても、これだけマスコミの注目になった上ですから、あまり松坂に失礼なことは出来ないんでしょうね。

 10時に注目と言うことです。


2006年11月13日(月曜日)

 (25:27)新聞を開けば、右も左も「自殺」の話。どうしてこんなことになってしまったのか。しかし、自殺報道には矛盾がある。報じれば報じるほどそれに誘われる人間が出てくると言うことだ。先々週の東京新聞のコラムにだったと思ったが、以下のような文章を書いた。

 高校二年の時だったと思う。比較的親しかった友達が、何かの話しをしているときに突然こう言ったのだ。

 「俺、死ぬのやめたんだよ・・・・」

 死にたいと思うに至った訳は聞いた。いろいろ言っていたが、それよりも私の記憶に残ったのは彼が「死ぬのをやめた」理由だ。彼は、「死んだ人に関する新聞記事があまりにも小さいので」と述べたのだ。彼は新聞を見せてくれた。一行記事だった。

 人間は皆、自分の大きさを何かで確認したい。大きく扱われるなら死んでも、と思う人がいても不思議ではない。だから私は本気で心配している。テレビ、新聞が「いじめを理由に自殺」と大きく報じれば報じるほど、自殺という道を選びたいと思う若者も増えてしまうのではないかと。しかし一方で、報じないわけにはいかない。

 「いじめをなくせ」というのは正論だ。しかし人間社会が、いじめ、じめられの関係を織り込みながら成立していることも確かである。問題は人を死に追いやるような深刻な段階に進むことを放置することである。これには学校、親、そして警察など多くの人が「防止」で協力する必要がある。

 しかし私は若い人達に「何があっても死なないで欲しい」と強く言いたい。「死ぬのをやめた」友達に久しぶりに会った。当然だが何もなかったように生きている。彼は死んでいたら今の人生はなかった。自殺では人生をリセットできない。消えるだけだ。だから解決の道を探して欲しいと思う。死んだらダメだ。

 私の気持ちは、「死んだらダメだ」の一言に尽きます。そう思っている人が心を強くし、思い直して欲しいと思う。


2006年11月12日(日曜日)

 (23:27)ははは、無線でも有線でも高速ランが走っているところでは、世界中どこでも自宅と同じように全局(杉並ケーブルに入っている)が見られるようになりました。いままでちょっと調子の悪かったロケフリをセットし直したため。

 実はロケフリを買ったのは、インドに行く前、つまり6月の初めでした。ワールドカップの日本戦をインドでも見たいと思ったのです。しかしその時は設定が難しくてうまく出来なかった。インドでは結局、現地のテレビ局が日本戦もすべてやっていましたから問題は無かったのですが。

 帰ってきて設定し直して、自宅の中では無線LAN経由でPCからテレビを見られるようになった。しかし自宅外からはなぜか不調だったのです。どうせ買ったのだから完璧にセットしたいと思ったので、今回ソニーから人に来てもらって土曜日の夕方にセットし直してもらったのです。

 デジホームサポートというサービスを申し込んで、技術者に一人来てもらったのです。そしたら説明書にない難しい設定方法を使って設定してくれた。その結果、出先からもPCからコマンドを入れて自宅の杉並ケーブル設置のパイオニアのケーブルテレビ・コンバーターを操作して、チャンネルを変えることが可能になった

 ランを通じてテレビが見られるようになった何の意味があるかというと、直ちにそれほどあるわけではない。しかしニューヨークのホテルに居ても、その気になれば日本の全局のテレビをほぼリアルタイムで見ることが出来ると言うことです。地上局を当然、BS1、2でも、ワオワオでも。

 今一番楽しみにしているのが、新幹線で無線LANがもうすぐ使えるようになるのですが、そうすると新幹線の中でもテレビが見ることが可能ということです。ケーブルテレビ・コンバーターからロケフリに映像を送り、ロケフリが映像をデジタル化してインターネット網に乗せ、それをそれこそ「ロケーション・フリー」(場所を問わない形)でPCの画面を通じて見るということ。

 具体的にどういうメリットが生まれるか、面白いことが出来るのかはこれからの話ですが、「そういうことも出来る」というのがまずは興味深い。それにしても、設定は説明書にない方法で行われた。もっと簡単にならないものか、と思いました。


2006年11月11日(土曜日)

 (16:27)雨だったのが残念ですな。庭の綺麗な会場だったのに、外はかなり強い雨。まあでも雨降って、と言いますから。

コメンテーター陣と新郎新婦  アナウンサー同士の結婚というのは、テレビ朝日始まって以来でも3組くらいしかないそうです。ははは、テレ朝のアナウンサーの4分の1ほどの人が居たのでは。そういう意味では、華やかです。加えて番組関係者が多い。

 仲人が居なかったのは、先週の従妹の結婚式と同じ。徐々にこの方式が暫くプリベイルするんでしょうね。もともとが綺麗な村上さんなので、ウェディングで一段と映えていました。お幸せに。

 ところで、金曜日に富士通総研 経済研究所 主任研究員 柯 隆(か りゅう)さんにおいで頂いた番組は、まだ放送が行われていないのであまり書けないのですが、面白かった。今年は一回も中国に行けなかったので、最近の胡錦濤政権の一連の国内の政治的動きの背景などを聞きましたが、実に興味深かった。

 詳細は番組を聞いてもらうとして、まあ一つだけ非常に笑ったのは一人っ子政策が始まってそろそろ30年。今の中国では結婚適齢期の男性が、女性より2000万人ほど多いのだそうです。そりゃ、大変なことですよ。結婚できない男が大量にいると言うことです。

 それにしても発足から70年で行き詰まったソ連の共産主義。中国は今50年くらいですが、オリンピック、そして万博のあとはどうなるんでしょうか。その一つのヒントをもらったような気がしました。

 来年は中国には何回か行きたいな、なんて思っています。


2006年11月10日(金曜日)

 (16:27)遅めの昼飯を六本木ヒルズのあるイタリアン・レストランで食べてそこの従業員と話していたら、彼が突然「ヒルズはもう勢いがありませんよ。虎屋さんも店をTMTに移すそうですし......」と。

 正直なんでしょうが、良くありませんね。こちとら、ヒルズで食事をしているのに、「そこが勢いがない」とは。それでも彼が話し続けるので聞いていたら、土日はまだしも平日は本当に人が少ないのだそうです。「頑張っているんですが.....」と。「だったら、くらい顔をせずに明るく振る舞えよ....」と思ってしまいましたが。まあこれからはイリュミネーションの時期ですから、少しは良くなるのでしょうが。

 で、「そうか、防衛庁の跡地は」と思って、歩いて見に行ったのです。確かTMTは「東京ミッドタウン」だったと思った。赤坂への帰りがてらに。ヒルズからは右手に大きくもう既に完成状態に見える。しかし近づくとまだ工事中。それを右回りに回り込むように歩いたら、日本庭園のような広い一角が。

 いままで気が付きませんでしたが、龍土町の方から見て左側はかなり大きな空間になっているようで、そこに古い日本の神社のような建物が二つ既に建っている。あれが完成すると、なかなか良い庭園になりそうだ。

 あの辺は坂が多い。で思ったのは六本木の交差点付近は既に猥雑な街になっているので、龍土町の辺か、下の庭園の近くが良い街になるのではないかということ。結構緑も多く、そして坂が多くて良い街になる要素を抱えている。

 それにしても、東京は今ニョッキニョッキとビルが出来続けている。TBSの新しいビルも出来つつあるし、その手前でもビルが出来ている。赤坂のみすじ通りだったかにも新しいビルが。

 いったい誰が入るんでしょうかね。あと思ったのは、「かつては人で一杯」だった店もちょっと入りが悪い店が多い。例えば赤坂見附の駅の周辺のパチンコ屋は以前は昼でも人が一杯だったのが、最近では「大丈夫かな」と思えるような状況。街は変わる。ちょっと見ない間に、行ってない間に。


2006年11月09日(木曜日)

 (16:27)年末が早く来ているような気がしますな。火曜日のアンカーでは、梅田の阪急デパートが10月18日からお歳暮商戦を始めたと言っていましたし、水曜日から東京の赤坂プリンスでは年末恒例のイリュミネーションが始まった。

 まだ11月の中旬ですから、これからが長い。しかしイリュミネーションが長く続くのはなかなか良いと思う。季節を外しても最近は街をイリュミネーションで綺麗にするのが流れになっていますから。六本木などはいつからでしょうか。

 アメリカでは、中間選挙で予想通り民主党が大躍進。倫理的スキャンダルもありましたが、やはりイラクでの嘘、その後の戦略がブッシュ、それに共和党にとっての命取りになった。FTがこの議会の支配権移行を「アメリカの民主主義が機能した証拠」としたのは、卓見だと思う。

 アメリカ軍の兵士が今年だけで1000人も死ぬ事態を招いた戦争のリーゾニング(理由付け)が嘘に塗り固められている状況では、政権不信が拭いがたいものになったのは自然でしょう。今後はブッシュが言うところの「a new perspective」がどのようなものになるかです。

 あと重要なのは、議会を取った民主党がどのような国、政治を目指すのかを明確にすることでしょう。それは大統領を目指していると思えるヒラリーにも言える。このビジョンがないと、2008年の大統領選挙では今の勢いを保てない気がする。これが重要なポイントだと思う。

 それはさておき、年末と言うこともあると思うが、何かと忙しい。木曜日は朝の番組が終わった後にTOKYO FMに。今年の春にギャオの番組で一緒だった栗原由佳さんがやっている番組に。久しぶりで楽しかった。あれ、「アメリカにはいつ行くんだい」と聞くのを忘れてしまった。彼女は岡島選手の奥さんですから。

 話題は基本的に「カウンターから日本が見える」ですが、話はあっちこっちに飛びました。FM東京のサイトの通りです。その後は青山で撮影。しばらくは、こんな日が続きそうです。インド本の原稿は水曜日の午前中に日経出版局に宅急便で送って一段落しました。


2006年11月07日(火曜日)

 (23:27)ははは、頭がインドになっています。自分の書いた文章ながら、ずっとインドについて読んでいるし、直しているし、考えているので。胡錦濤が今月末に行くとか、月着陸を目指すとか、北部でまたテロが起きるとか、インドは引き続き忙しい。来年早々に本になります。

 昨日忘れていたのですが、アルファサラボの岸さんから、実に面白いソフトウエアを教わったので、それを紹介します。彼が打ち合わせの時に使っているのを見て、「これは使える」と。

 ソフトウエアの名前を、マインドマッピング・アップリケーションというのです。ソフトウエアの直接の名前を「Freemind」と。「自由な心」とは気に入りました。

 まずJAVAをダウンロード、インストールし、その上でソフトウエアそのものをダウンし、展開する。私は使い始めたばかりですが、実に便利です。「構想を自由に膨らますのに便利なソフトウエア」に見える。例えば本の構想を練る、番組の構想を練る、プロジェクトの構想を練る、など。フローチャートがみるみる描けていくのです。

 それから、紹介ついでに一つサイトを。人間力アップ講座というのです。ページを開くとえらい音楽が流れます。古くからの友人の岡本君が管理しているサイトです。彼は昔からこういうことをしている。効果のほどは知りませんが。


2006年11月06日(月曜日)

 (23:27)いつも当たり前にあるものがないとえらく不便だ、というのが今回の経験でした。お風呂です。コントローラーのコンピューターの基盤が古くなったかでうまく機能しなくなった。それが3連休とぶつかって、合計4日間くらい結局風呂もシャワーも使えなかったのです。

 シャワーは少なくとも一日に最低1回、多いときには数回浴びる口ですから、ないのは本当に不便。家の人も同じ事。まあおかげで銭湯にも久しぶりに行けましたが。「なくなって初めて気付く必需品」って感じでした。

 ところで、恐らく来年の1月からですが、このHP(ycaster)大幅にリニューアルします。このフロントにしてから随分と時間がたち、髭のない顔写真も入れ替えないといけないし、何よりもこのHPを作って10年が経過しましたので。

 私が「よし作ろう」と思い立って計画し、春の連休を利用してコンテンツを詰め、HPを立ち上げたのは1996年の6月でした。この day by day を最初に書いたのは同年の7月17日。

 この間のウェブの進歩はすさまじい。まずスピード。やっと64Kが出始めた頃のような。まだ電話線がアクセスに使われていて、ちょっと重い写真を載せると苦情が来たり、○数字を使うとマックの方から「読めない」と言われたりした時代。

 今回のHPはウェブ2.0の思想、発想をふんだんに使い、各所で新しい試みを行う予定です。デザインはアルファサラボの岸さんに任せます。彼とは数年前に一緒に仕事をして、それ以来の付き合い。昨日食事をしながら一応の摺り合わせをしました。

 今までの文章中心は多分変わりませんが、音声、映像をふんだんに取り入れる予定です。アップを格段に楽にし、私自身が作っていて楽しい、「新しい」と思えるHPを目指します。技術はやっぱり取り入れないと。

 私のHPのカウンターはこの day by day の最後にしか付けていないので、様々なコーナーがあるHP全体としてどのくらいの方々にアクセスして頂いているのかは分かりませんが、day by day の下に表示されている累積数字は今現在460万強

 多いのか少ないのか判断材料はありませんが、まあよう続いたと。読む人ばかりでなく、作っている本人にとっても楽しいHPがモットーです。かつ情報に機敏で、それが溢れるように。さあどんなHPになることやら。私にとっても楽しみです。


2006年11月05日(日曜日)

 (23:27)結局3連休はずっと天気が良かった、ということですか。秋らしく晴れていても霞がかかっていた。しかし秋の深まりにも関わらず温度は高く、土曜日は野原で半袖だったし、日曜日も結婚式場が凄く暑かった。やはり地球は暖かくなっているのでしょうか。

 日曜日は10何人かいる親父の方の従兄弟の中で一番若手の結婚式。若手と言っても40直前。両親が心配しているのを知っていただけに、「やっとかよ」という感じだったのですが、結婚式はあっけらかんとしたもので、スピーチの中で新婦との年齢差11才を誰一人として指摘するわけでもなく、大学のサークルの連中とか、会社の連中の余興で盛り上がっていた。

 あまり酒は飲めないだろうと思っていたのですが、結構飲むようになっていて驚き。親父の弟の長男で、昔からかわいがっていたのですが、嫁さんも明るそうな人で良かった。彼女のモットーが「一日一回大笑い」だそうで、これは笑えた。

 ご両人に対して「優秀」とか「仕事が出来る」とか「美人だ」の、かつての結婚式だったら必ず出てきた歯の浮くような美辞麗句は一切なし。それがなかなか面白い。「やさしい」が一番回数多く出てきた単語かな。

 当然お仲人さんもいないで、司会者が両人のプロフィールを簡単に読み上げるというスタイル。両親の仕事の説明もない。会場で新郎がなんだかんだ言って酒を飲まされるという、古色蒼然とした色彩も強く残る結婚式だったにもかかわらず、細部を見ると「変わってきているな」と感じる。

 新婦の両親に対する手紙朗読も良かったが、新郎の親族の身にしてみると本人の酔っぱらったあげくの最後の、「私が引っ張ったあげくの結婚式だったので、叔母さんの多くが出られなくて.....」の一言が印象に。ほんまや。彼の私のサイドの叔母は5人いるのに、式に出られたのはたった一人。私の親父も死んでしまったし、叔母は生きていても身体の調子が悪くて出られなかった。

 ははは、葬式でも結婚式でも、あまり引っ張ると出席者が減ってしまう、というのは現実です。葬式では、85を過ぎると「友達」ががっくり減る。引っ張ると、結婚式の親族の出席者が減るというのは、初体験でした。そういえば、親族紹介の時にこっちサイドは少なかったな。11才若い新婦サイドの親戚が多かった。ま、歳だけじゃないんですが。

 つい最近まで、大企業のサラリーマンが「娘が結婚するまで部長で.....」というようなことを人事部に直訴していたと聞いたが、そもそもご両親の紹介も名前止まりで職業紹介もないというのなら、娘の結婚時の役職にこだわることはない。

 最近の晩婚化に鑑みると、そもそも父親が会社や官庁や、その他商売でばりばりやっている間に息子、娘が結婚するというのが少なくなりつつあると言うことでしょう。新郎の父親、私の叔父も大学の非常勤講師を最後に今は基本的には退職、悠々自適の毎日。

 今週土曜日も一つ結婚式がある。比較もまた楽しみ。それにしても、この3連休は凄まじい数の結婚式が行われたのではないか、と思う。どこに行っても、白いネクタイが多かった。私はそれに飽きたので、今回はデパートで買った礼服用のピンクのネクタイを使いましたが。それにしても、ちょっと結婚ブーム.....?


2006年11月04日(土曜日)

 (23:27)10月31日に「いじめ」の問題について私の考え方を書いたら何人かの人からメールを頂きました。いじめの原因も多様化しているようで、文部科学省の定義が時代遅れになってきていることがはっきりしてきました。時にはその生徒が正義感溢れる人物であるが故に、いじめの対象になっているらしい。

  1. 自分より弱い者に対して一方的に
  2. 身体的・心理的な攻撃を継続的に加え
  3. 相手が深刻な苦痛を感じているもの
 というのがその定義ですが、以下のようなメールを読むと事態が複雑化していることが分かります。 
 今日のいじめの件、興味深く読みました。 というのも、私が甥っ子の様にかわいがっている友人の子供が 正にいじめにあってる真っ最中なのです。

 彼は、勉強もできる、スポーツもできる、友人も普通にいる 状態です。 昔はこの状態だったらいじめは受けなかった。 今は、「正義感が強い」という理由でいじめられたりする。 自殺した中学2年生の女の子も正義感が強くて、いじめを 注意したら逆にいじめられた。

 彼も理不尽な要求にはかたくなに応じないらしいのです。 それでいじめられる。気絶するまで首を絞められる。腕の 骨を折られる。ここまでくると傷害です。

 また、「お願いだから死んでくれ」とまで言われたそうです。 (これに対しては「お前が嫌がるならずーっと生きてやる、 お前より1日でも長生きしてやる」ぐらい言い返せといい ましたが。関西のおばちゃん的きりかえしを彼には仕込みたい ところです。)友人から聞く話では、学校はかなり良く対応してくれている ほうだと思います。

 しかし、いじめている側の親が育児に参加していない状況 なので、改善されない。 結局は親の教育の問題だと感じています。 自分の子供が卑怯なことをしていても諌めない。 そして、子供の世界は狭い。大人になれば今いる場所 以外にいろんな世界があるということを知っているので、 ここでだめでも別の場所があると思うのですが、 子供には学校が世間の全てだったりするので、つらくなる。

 子供の頃親に「かかわるからちょっかい出されるんだ」と 言われ「そんなこと言ったって、向こうから言ってくるんだし」 と思ってました。大人になった今、いやな人に関わらないようにする技術は いろいろ持ってますし、最初から関わらない。 でも、子供には難しい、世界が狭いから。

 数年したらきっとあんなこともあったと思えるようになるし、 楽しいこともたくさん出てくる。 それはみんな生きているからこそだと思います。 生きていてほしいと日々ニュースを見ていて思います。 大人になったらこんなに楽しいよ、というアピールが 足りないのでしょうかね。


2006年11月03日(金曜日)

 (23:27)家の風呂の調子がちょっと悪いこともあって、久しぶりに近くの銭湯に。以前は結構好きで夏の夕暮れなどに行ったものですが、最近はめったに行かなかった。久しぶりに行ったら、面白かったな。

 入浴料は430円でした。以前の銭湯は奥から湯船があって、その前に洗い場があって、引き戸のこちら側は着替えの場でしたが、今回行った銭湯はマイクロなんとかという湯船、普通の湯船、それにサウナがあった。結構充実している。

 いろんな人がいました。入れ墨がびっしり入った人、芸術家風の人、学生と思われる連中。風呂場の番台のオバさんと話したら、午後10時近くからが混むのだそうです。たしかにその境目に行ったのです、時間の経過とともに混んできた。ちょっと居ただけですが、外国人と見て直ぐに分かる人はいなかった。

 笑ったのは、着替え場はロッカーになっているのですが、上の一段のロッカーには人名が貼り付けてある。あれは「メンバーロッカー」でしょうか。だとしたら、メンバーフィーを払っている ? 一応必要となるものを置いておけるので、便利ですが。
 ――――――――――
 久しぶりにゆっくりと家でテレビを見ましたが、NHKの「サイボーグ技術が人類を変える」は面白かったな。再放送ですが、見ていなかったので吸い込まれました。

 究極突き詰めていくと、人間も極めて精巧な電気信号で繋がっているコンピューターの側面があると分かる。鬱病患者の脳の一部刺激によって病状が良くなるのを見て、なるほどと思いました。「brain computer interface」というのが面白かった。

 この新しい技術は、人類に革命的な恩恵をもたらしうる。テレビには具体的な例がいっぱい出てきた。耳の機能を回復した坊やの話や、パーキンソン病の病根に対する電気刺激での患者の回復などは見ていて涙が出るほどでした。

 しかし一方で、この技術はコンピューターが脳をコントロールする可能性を示唆していたし、ネズミでの実験はそれが遠い可能性ではないことを示している。記憶を司る海馬を人工的に作るという話は恐ろしい話だと思うし、人間の記憶をチップ化するという話も、「出来たり便利だ」と思う一方で、脳的クローン人間を生み出す危険性を指し示しているようで、恐ろしい話だと。

 立花さん曰く、「サイボーグ技術とは、人間と機械を融合する技術である」と。あらゆる技術がそうであるように、技術にも創造的で一般的に人間の生活や生にプラスになる面と、破壊的に人間の生に対して脅威になる側面がある。このサイボーグ技術もそうでしょう。今後も考えねばならない問題です。


2006年11月02日(木曜日)

 (12:27)今朝読んだ比較的面白い記事は、ウォール・ストリート・ジャーナルの「Why Pyongyang relented」(なぜ北朝鮮は折れたか)という記事です。北朝鮮の六カ国協議復帰の唯一の思惑は、「金融制裁の解除」にあるという分析。世界一有名(顔だけ)になっているあの朝鮮中央テレビの女性アナウンサーも「on the premise that the issue of lifting financial sanctions will be discussed and settled」と(北朝鮮の六カ国協議復帰は)金融政策の解除が認められる前提で、と述べている。

 金融制裁はまずアメリカがマカオのバンコ・デルタ・アジアに対して課した。よって、アメリカが解除すれば、北朝鮮の金融は正常に戻ると考えがちだが、この記事の分析から推論していくとどうもそうもなりそうもない。そこがこの記事のおもしろ所である。一部を引用する。

North Korea's financial troubles have arisen in part because of steps it began taking in 2002 to introduce market changes to its centrally planned economy. These included greater use of international banks for borrowing, investing and trade. The isolated regime of dictator Kim Jong Il apparently didn't realize that such steps would ultimately provide outsiders with another means to pressure the country.

"The alarming thing for North Korea was to find that any assets they held around the world were liable to be frozen" if they were accused of criminal activities, said Tony Michell, managing director of Korea Associates Business Consultancy in Seoul and co-founder of the first international business-consulting firm in Pyongyang.

Inability to conduct international banking "has made it extremely difficult for ordinary businesses to send money to North Korea and to receive money from North Korea," Mr. Michell added.

 つまりこの記事が述べていることは、切っ掛けはアメリカのバンコ・デルタに対する制裁だが、その背景を作ったのは2002年の北朝鮮による経済自由化のための一連の措置だとしている点。この結果、北朝鮮は以前よりも格段に借り入れ、投資、それに貿易で国際的に業務を展開している銀行(international banks)を使うようになった。この記事は、「金正日はこうした措置が、最終的には外部勢力に北朝鮮に対する圧力をかける手段を与えることになるということを理解しなかった(would ultimately provide outsiders with another means to pressure the country)」と書く。

 経済を自由化し、国際的な取引をするということは資産の一部を海外の銀行に置くと言うことです。バンコ・デルタもその中の一つでしょう。海外に置けば、それは「凍結」の対象になりうる。つまり金正日自身が自らの措置で自らの体制が金融制裁を受けうる状況を2002年に作ってしまったとこの記事は指摘しているのです。重要なことは、バンコ・デルタに対する措置を見て、他の国際銀行も北朝鮮との取引をカットしたという点。記事はこう書く。  

But a bigger problem soon developed as other foreign banks that were North Korea's chief conduit to the global banking system cut the country off, worried that a mere threat of U.S. penalties would cripple them, too. Officials at four Chinese commercial banks have recently said they have stopped moving any funds into or out of North Korea.
 この「北朝鮮との取引停止」の波により、北朝鮮は国内に資金を入れることも、国内の資金を外に出すことも出来なくなった。その結果は、金正日体制に近い人々もお金を動かせなくなったばかりか、北朝鮮企業が貿易取引も出来なくなっている、ということです。つまり実質的に北朝鮮経済は麻痺状態になっているということです。中国もこの制裁に参加している。北朝鮮は例えば中国に鉱物を輸出しても、輸出代金も受け取れない状況になっていると考えられる。北朝鮮経済は、農業も、商業も、そして工業も麻痺した状態、ということでしょう。

 その可能性は薄いが、ではアメリカが金融制裁を解除したら北朝鮮経済は正常に戻るのか。多分それには時間がかかるし、体制として安全かどうかを銀行は考えるでしょう。銀行の性向からすると、よほど北朝鮮の現体制が今の世界に受け入れられる姿勢にならないと、銀行はかつての取引体制を北朝鮮と結ぶことはないでしょう。体制そのものに疑念が膨らんでいる現状では、銀行は今の北朝鮮体制との取引を躊躇すると考えられる。それは個々の銀行の取引判断によるからです。

 ということは、金融制裁が解除されても北朝鮮を巡る金融取引は「信用」の網の中でうまく展開するかどうか分からないと言うことです。北朝鮮経済や企業の国際取引の不備は続く可能性が高い。ということは、北朝鮮経済がうまく回ると言うことにはならないということです。「自ら開けた自由化の小さな穴が、大きな制裁を招いている」のが今の北朝鮮の状況だと言える。  で、六カ国協議の展望です。まだ日程も決められない。なぜなら、同床異夢なことが明らかです。北朝鮮は金融政策の解除をして欲しい一心です。しかしその他の国は、「北朝鮮に核を放棄させること」が狙い。しかし北朝鮮は核を放棄すれば、自分の交渉力は低下すると考えている。放棄しない限り、アメリカは金融制裁を解除しない、という図式。

 ということは、本当に開かれるかどうかは別にして、この「同床異夢」は限りなく「同床」というところから怪しいし、「夢」は限りなくかけ離れているということです。本来体制に無理があるということが大きい。しかしもし金正日の体制の崩壊が近くあるすれば、「2002年に開けた小さな穴」が大きな切っ掛けになるかもしれないと思う。


2006年11月02日(木曜日)

 (00:27)光文社の月刊男性誌Gainerの佐久間さんという記者の方と「企画」で約2時間打合せ。面白かったな。あまり今まではお付き合いがなかった雑誌なので、内輪話なども聞けて。

 光文社は最近新書で頑張っている。「さおだけや」とか。女性誌だとJJとかクラッシー、女性自身など。男性誌だと「Gainer」や「Brio」。それぞれの位置づけが分からなかったのですが、彼の話で大分整理された。「勝者」(gainer)編集部に来たのはこの一年くらいだそうで、その前はJJだったという。ははは、JJはあまり読んだことはなかったな。

 「Brio」や「Gainer」はそうは言ってもたまに見ていた。本屋でも結構目立つし、歯医者に行けば置いてある。新宿の伊勢丹のメンズ館によく行く身としては、こうした男性誌の記事や写真には多少の馴染みもある。各雑誌にはそれぞれターゲットがあるそうで、Gainerは20〜30代、BRIOはそれより上。紹介物品の値段もかなり違うそうだ。

 女性誌の話しで面白かったのは、エビちゃんが主力となっていたCANCAMも、エビちゃんの成熟と共に卒業する読者が出てきて、それはエビちゃんもそうなんですが、そこから「姉キャンキャン」という不定期の雑誌も出しているというのです。私はそれは見たことがなかった。

 その他の特定女性モデルを中心に置いた女性誌もそうだそうで、となると一時代を築いたモデルが年齢的に難しくなったときに、次のモデルにうまく切り替えが出来るかどうかがポイントになると。雑誌の盛衰もモデル次第......。

 あああと一つ。女性のファッションの発信地って大体分かるじゃないですか。例えば女性、特に若い女性では渋谷とか。あとは銀座、丸の内、自由が丘などなど。しかし「男のファッションの発信地は?」という話しをした。ははは、答えは出ませんでした。新宿のあるデパート? それとも男は分散......


2006年11月01日(水曜日)

 (10:27)夕べから北朝鮮の六カ国協議復帰のニュースが大きく取り扱われていますが、それとの関連で一番面白い背景ニュースはこれだと思います。むろん、統計の精度に対する疑義はあるが、それにしても「中国の北朝鮮に対する怒り」が良く表れている。

北向け原油、中国の9月輸出ゼロ ミサイル実験から圧力

 【北京=福島香織】中国から北朝鮮向けの9月の原油輸出量がゼロとなったことが30日、中国税関総署の貿易統計(9月分)でわかった。ロイター通信が伝えた。

中国は北朝鮮の核実験前にすでに、北朝鮮の命綱ともいえる原油輸出の引き締めを開始していた。中国は食糧援助の削減について「人道的理由」から反対の立場をとっていたが、原油供給の削減については姿勢を明確にしていなかった。中国は今年1月〜9月までは、前年同期比6.8%減少しながらも累計36万9643トンの原油を輸出、北朝鮮は7月に中国側が自制を求めたにもかかわらずミサイル発射実験を実施しており、9月の原油輸出停止は、これに対応した措置とみられる。

 北朝鮮は原油の90%、食料の3分の1を中国に依存しているとみられており、原油供給の極端な削減は北朝鮮の経済活動全般に影響を与える。中国は2003年、重油パイプラインを3日間にわたり閉じて圧力をかけ、北朝鮮を6カ国協議に参加させた経緯もあり、原油供給削減による効果については、中国側の専門家の間でも以前から打撃を与えうると指摘されている。

 サンケイ新聞のサイトからとったものですが、原油の90%を依存している中国が9月は原油輸出ゼロだとすると、北朝鮮経済は実際はパニック状態になっていると考えられる。そんなに備蓄はしていないでしょう。あちこち首根っこを押さえられているのにあの体制が長らえてきたのは、中国、韓国、ロシアにとって有用だったからですが、その存在が徐々に周辺国にとって害になりつつある、というのが実情でしょう。

 六カ国協議ではまたまた強気の姿勢を通せるのか、それとも徐々に鮮明になりつつある米中路線に屈服するのか。そこが見物だと思う。


2006年11月01日(水曜日)

 (00:27)大阪で一つ良い店を見付けました。「肉好き」の方にお奨めです。野菜ソムリエの資格を持つ女性もいて、肉料理屋ながらバランスよく食べられる。

 看板は「肉料理 神谷」と大きく書いてありますが、その下には「カノヤ」と表記してある。カミヤでは面白くないので「ひねった」と経営者。「経営者」といっても、若くて魅力的です。守田奈津子さん。父も兄も新聞記者という記者一家の出ながら、本当に「肉好きなので」と自分で店を出したという徹底派。野菜ソムリエの女性と板前さん(男性)の3人で店を回す。

 メニューを見ると、最後に「阿波池田牧場」発行の肉証明書がある。見ていると、肉は確かに良い。食欲がわく。こういう証明書はあまり見たことがないな。ステーキばかりでなく、すき焼きも提供してくれる。カウンターが8席あって、その後ろにテーブル二つの上がりがある。

 本人がこだわりで作った店だけに、コストパフォーマンスの良い、感じのよい店になっていると思う。なによりも店が明るいのがよい。物理的にではなく、雰囲気が。突き出し(肉刺しとちび寿司)が来て、ミニサラダが来て、わさびを横に従えたステーキと続く。私は「わさび」を自分で追加で擦りました。これがいけた。うーん、今度はすき焼きも試したい。5000円に行かないコースト、超すコースの両方があった。

 むろん、自分一人で見付けたのではない。関西テレビで一緒の吉富さんに教えて頂いた。彼は記者仲間から、と。彼は大阪のいろいろな店を教えてくれる。感謝。飲屋街、クラブ街だった大阪の新地。一時はかなり街の勢いが落ちて「クラブが潰れてラーメン屋に」とか言われた時期があったが、最近は新地は「レストラン街になりつつある」と思いました。

 「神谷(カノヤ)」の住所は、大阪市北区堂島1丁目3番4号谷安ビル2F。電話は06-6344-0129。ご興味のある方は、一度トライを。



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