2001年01月31日(水曜日)

 FRBは予想通り0.5%のフェデラルランド金利誘導目標、公定歩合の引き下げを行いました。声明文を一読して判るのは、「強い単語」が多いと言うことです。「appreciably」「cut back sharply」「rapid」「forceful」

 前回の利下げ時の声明には、この手の単語は一つもなかった。緊急利下げだったにも関わらずです。米景気が「appreciably」(明確に認識できる形で)に、そして「 sharply」(急速に)に悪化しており、それに対しては「rapid」(早急に)、「forceful」(力強い)対応が必要だし、自分たちの措置はその一環である、と指摘している。

 声明全文は以下の通りです。

Release Date: January 31, 2001

For immediate release

The Federal Open Market Committee at its meeting today decided to lower its target for the federal funds rate by 50 basis points to 5-1/2 percent. In a related action, the Board of Governors approved a 50 basis point reduction in the discount rate to 5 percent.

Consumer and business confidence has eroded further, exacerbated by rising energy costs that continue to drain consumer purchasing power and press on business profit margins. Partly as a consequence, retail sales and business spending on capital equipment have weakened appreciably. In response, manufacturing production has been cut back sharply, with new technologies appearing to have accelerated the response of production and demand to potential excesses in the stock of inventories and capital equipment.

Taken together, and with inflation contained, these circumstances have called for a rapid and forceful response of monetary policy. The longer-term advances in technology and accompanying gains in productivity, however, exhibit few signs of abating and these gains, along with the lower interest rates, should support growth of the economy over time.

Nonetheless, the Committee continues to believe that against the background of its long-run goals of price stability and sustainable economic growth and of the information currently available, the risks are weighted mainly toward conditions that may generate economic weakness in the foreseeable future.

In taking the discount rate action, the Federal Reserve Board approved requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of New York, Philadelphia, Cleveland, Atlanta, Chicago, St. Louis, Minneapolis, Dallas and San Francisco.

 前回声明と違う部分は赤くした部分です。前回の声明のこの部分は以下のようになっていた。
These actions were taken in light of further weakening of sales and production, and in the context of lower consumer confidence, tight conditions in some segments of financial markets, and high energy prices sapping household and business purchasing power. Moreover, inflation pressures remain contained. Nonetheless, to date there is little evidence to suggest that longer-term advances in technology and associated gains in productivity are abating.
 どう変わったというかというと、
  1. 景気に対して信頼感を失った経済主体として「消費者」だけでなく「ビジネス(企業)」を加えた
  2. 企業の利益率に言及して、それがエネルギーコストの上昇によって一段と悪化していると指摘した
  3. 小売り売上高と設備投資の明確な形での減少に言及した
  4. そしてこうした事態には、「早急で力強い政策対応が必要である」と今後の利下げ継続を予告した
 という点である。言えることは、「米景気に対するFRBの懸念は強まっている。成長への確信は変わっていないし、その確信の背景には「longer-term advances in technology and accompanying gains in productivity」(テクノロジーの長期的な進歩と、それに伴う生産性の向上)があるものの、今は消費者と企業の「confidence」(景気に対する心理、信頼感)を回復すべき時で、それには「rapid」で「forceful」な対応が必要」ということです。当然これには、FRBの将来の措置も含まれる。米国の利下げは短いインターバルで、大幅にまだ続くでしょう。

 慎重を旨とする金融政策の核心を示す声明に、政策対応の一環として「rapid」とか「forceful」という単語が使われるのは、多分非常に珍しい。それだけFRBに危機感があると同時に、こうした強い単語を使うことによって企業部門、消費者部門に両方で悪化している「confidence」を持ち上げようと言う意図が見える。声明の中で赤くした二つのパラグラフを翻訳すると以下の通りです。

 消費者と企業の景気に対する信頼感は一段と低下したが、これを加速しているのは消費者の購買力を奪い、企業の利益マージンを圧迫しているエネルギーコストの上昇である。それを一因として、小売売上高と企業の設備投資は目に見える形で減少した。こうした事態に対処して製造業部門の生産は急激に削減されているが、ここでは恐らく新しいテクノロジーが在庫と資本設備の過剰(潜在的)に対する生産と、需要両面での企業の対応(減産や出荷抑制)を加速させている。

 こうした全体状況、それにインフレが抑制されているという環境の中では、状況は金融政策の足早で、力強い対応を求めている。しかしながら、テクノロジーの長期的な進歩とそれに関連する生産性の上昇は衰える兆しを全く示しておらず、こうした進歩や生産性の上昇は低金利と相まってこの先アメリカ経済の成長を支える筈である。


2001年01月30日(火曜日)

 「I am sailing,I am sailing .....cross the sea.....to be free......」

 ロッド・スチュアートのちょっとけだるい、しかしどこか甲高い声のお馴染みの曲が流れる中で、静かにドックの岸壁を離れて処女航海に出ていく5万トン強の船.....

 念願だった船の船出に初めて立ち会う機会に恵まれました。昔ながらの木製のころの上を船が転がりおちる方式のやつではないのですが、「竣工式」「命名式」と続く大型船の船出。ちょっと寒かったのですが、岸壁に40人くらいの人と一緒に見送りました。

 船の世界はかなりややこしい。船に命名をするのは、発注主でも、造船所でもなく、長期契約を結んだ運航主。今回の場合は、デンマークの船会社。作ったのは愛媛県の有力造船所。その造船所での一連の式典なのです。

 式典もなかなか物珍しい、興味深いものでした。私は知らなかったのですが、小型の斧を振り下ろして綱を切ってシャンパンを割り、同時に船を船出に導く綱切りの儀式を「支綱(しこう)切断」というのだそうです。そういえば、映画やテレビでは見たことがある。

 誰がやるかというと、大体が女性。今回の場合は発注主のお孫さんの中学一年生の女の子(うーん、学校は休んだんでしょうね)。船の甲板の上での式典です。船も5万トンを越えると大きい。十分なスペースがある。今回の船はバルク船(バラ積み船)で、処女航海はオーストラリアだそうです。
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 船の中をかなりゆっくり見せてもらいました。一番上にある操縦室は大きなレーダーが二機備えられていて、前方の島から動く船まで綺麗にみれる。エンジンルームは3階分くらい吹き抜けで、一万馬力が出ると言っていました。一般船員の部屋は小さくて、ホテルの狭いシングルといった風情ですが、キャプテンの部屋は応接に居室とあってかなり余裕がある。荷物を一杯に積んだときの船速は、14.5ノット。

 その両方にPCが置いてあって、どちらもインターネットに衛星を通じてつながるのだそうです。そして、昔は無線だったのですが、今は船と地上、船同士の連絡はかなりの部分がインターネットになっていると聞きました。昔は特にコンテナ船は一度航海に出るとなかなか家族の顔を見ることもできなかったのが、今ではEメールがあるから、写真でも何でも添付すれば家族の顔を見られるということになっている。

 日本の船主が発注し、日本の造船所で作られた船ですが、式典から約1時間半後に出航した船には日本人船員は全く乗っていない。オフィサーは韓国人、乗組員はフィリピン人で総勢24人程度。

 外見から見ると判らないのですが、この数年間を見ても船を造る技術、燃費効率などで著しい技術革新があったのだそうです。ニーズも多様化して、造船所も新しい技術の取得をしないと競争に勝ち残れない状況に置かれているらしい。デンマークの船会社の人としばらく話していましたが、やはり「日本の船はクオリティーが高い」のだそうです。韓国やその他の造船国の船に比べて。

 えっと、他に「パナマックス」とか「ケープ船」とかいろいろな言葉を憶えました。前者はパナマ運河を通れるサイズの船。幅は32メートルで、長さも決まっているらしい。ケープ船とは喜望峰を通る船で、これはサイズの制限なし。

 うーん、今度はころの上を滑って本当に進水する船の進水式を見たいと思いました。もっと感動ものなのでしょう。


2001年01月29日(月曜日)

 雑誌の吊り広告などを見ていると、またぞろ日本人の為替感を見せつけられるような見出しが踊っている。いわく、「日本経済弱体化の象徴としての円安」「円安に歯止めを掛ける必要...」云々。

 円高になればなるで「日本経済は締め上げられてしまう」と騒いだと思えば、円安になれば「日本経済の終幕」と驚いてみせる。もしそうだとしたら、360円が79円75銭になったアメリカなどとっくに終わっていなければならない。にも関わらず、アメリカは為替以外の要因が大きいとはいえ、かつての三分の一の為替相場で繁栄を謳歌している。

 日本の雑誌などを読んでいると、「ああ、結局変化が嫌いな人たちなんだ」と思ってしまうことがある。とにかく「動く」ことを嫌っているのである。円高になってもそれは日本にとっての大問題、円安になっても大問題。

 しかし、変動相場制を「実行可能な唯一の為替制度」として採用している限り、為替相場は時に上がり、そして時に下がる。360円だった為替相場が80円にもなり、それがまた120円になったとして、相場のサイクルとしては極めて「当然ありうる動き」である。

 通貨安が70年代、80年代に問題だったのは、それが国内に物価上昇圧力を生むことであった。つまりインフレを加速することだ。しかし、今は通貨安にその最大のデメリットがない。アメリカを見れば90年代を通じてドルは強く推移したとは言えないし、その中で景気は良好な状況を見せていたが、顕著な形でのインフレ圧力には直面しなかった。

 ヨーロッパもつい最近まで通貨政策は「自国通貨安」の促進だった。むろん表面的にはそうは言わなかったが、当局の姿勢はそうだった。だからこそ、ユーロは安値を追った。ユーロ安が進んだことでヨーロッパが失った物は大きくはない。せいぜいユーロに対する矜持程度である。インフレにはならなかった。

 今の日本にとって円安になった失うものはあまりない。原油が上がり、為替が円安になっても、ガソリン・スタンドの価格はわずかに上がっただけだ。日本を支えてきた輸出産業はこの円安に大きなメリットを受けている。今来ている松山の船関係の業界の人たちも、元気が良い。

 為替相場に対して「動くから悪い」という既成概念を捨てるべきである。むしろ、為替相場はその時その時のその国の経済状況に合わせて動いてくれる方が良いのである。なぜなら所詮止めておけるものではないから、動く物としての為替とうまくつきあうしかないのである。そして、よりフェーバーな方向に動いた方が良いに決まっている。

 「円高、即悪」「円安、即悪」という考え方からはそろそろ脱しなければならないと思う。全体的に国民経済にとってどちらが良いかという「実利的」な観点から見る必要もあるのだ。


2001年01月26〜28日(金〜日曜日)

 雪でえらく予定が狂った週末でしたね。土曜日は久々に府中に競馬を見に行く予定にしていたのですが、朝らじお短波の高橋君から入ったメール連絡(午前7時過ぎ)では、「今日はやります」と言うものだったのですが、さて家を出るかという10時過ぎに携帯が鳴って、「今中止が決まりました....」。

 まあその時既に雪が凄く降っていて、「できるのかな」「できるとしたら、雪の中を走る馬」を見るのもいいな、くらいに考えていたのですが、結局中止。携帯ラジオ、望遠鏡まで用意したのに。「出かける」という勢いだけついていたので、仕方なくそのまま二人で家を出て、新宿まで。

 映画を見ました。伊勢丹の前で。メル・ギブソンの「ハート・オブ・ウーマン」という映画。結構期待していたのですが、なんと終わりのだらしない映画で、アメリカ人はあれで映画にオチがついたと思っているのですかね。女性の心の声が聞こえる病気が直らないで、もっとすさまじい結末(悲劇であろうと喜劇であろうと)まで行けばいける映画になったのに。

 午後は「ねぎし」で食事をした後もう一人と別れて、競馬場で会う予定だった男4人で卓上芝大会。夕方過ぎまでやりましたかね。土曜日をあんな過ごし方をしたのは久しぶりでした。

 日曜日は本当は諏訪に行く予定にしていたのですが、こんな雪の中を動くことはないと言うことで、お袋に電話して、止め。何をしていたんだろう....という一日でした。週末と言うこともあって、今回の雪は残っている。月曜日からの松山出張はだいじょうぶかしらん。
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 普段は競馬というものはまったくしないのですが、なぜか競馬場に行くのは好きで一年に一回くらいは行くのです。パドックで馬を見ると、一頭一頭がお尻の形から体型から全く違うのが良く判る。艶の良いのもいるし、なんとなく冴えがないのもいる。

 競馬が本当に好きな人はパドックで馬を見て、それから決めるのだろうな....なんて思っています。行くと買うのですが、なかなか勝てない。まあ宝くじと一緒で、最初からかなりぼられていますから。うーん、競馬に一生懸命な人の気持ちはわからんな。\(?。?")ホントニ・・・

 好きな人は勝手にやればよいのですが、自分が走るのなら判るが馬が走るのに賭けるなんて。馬そのもの、競馬そのものは綺麗だと思いますが。競馬場は日本ではまだあまり品の良い人が行く場所ではない、と思う。目が血走っている人が多いのが好きではないのです。


2001年01月25日(木曜日)

 移動している間に「命」なる柳美里の本を読みましたが、よくここまで自分の身の回りに起きることを書き切れるものだと思いました。この人は、自分の身の回りに起きたこと、思ったことを包み隠さず書くことによって生き続けている、と言える。

 この一冊の本の中には、説明調であったり、母子手帳の写しだったりして読む方としてはかったるい部分もあります。しかしそれと全く対照的に非常にはっとさせられ、涙腺が緩む部分もある。読む人を離さない魅力を持った本ではあるという印象。

 今朝の新聞に載っている広告を見ると、この「命」の続編が既に出来ているようで、この調子でいくと彼女の子供は彼の母親と同じように「何を起きたか」を克明に報告される存在になる。

 それはそれで大変なことですな。読者は筆者が仕掛けたカメラを通して作者の日常とその心模様を見続けているようなもの。作者の仕掛けたカメラで見ている身としては彼女に何が起き、それに関して何を想ったかを知るのは、興味があると同時に、後ろめたい気分もある。

 私は知りませんが、父親なる人物がどういう人かは業界の人は既に知っているのでしょう。まあその人も含めて、柳さん、その子供....とドラマは続くんでしょうな。父親とのやりとりも妙にリアルで、「こういう奴はいるだろうな」と思われるのが良い。
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 25日のグリーンスパン証言(Outlook for the federal budget and implications for fiscal policy)とその後の質疑応答の中でポイントは恐らく二つです。

  1. "As far as we can judge, we have had a very dramatic slowing down. We are probably very close to zero at this particular moment."
  2. "The sequence of upward revisions to the budget surplus projections for several years now has reshaped the choices and opportunities before us.The most recent data significantly raise the probability that sufficient resources will be available to undertake both debt reduction and surplus-lowering policy initiatives.Accordingly, the tradeoff (between paying down the debt and other possibilities) faced earlier appears no longer an issue."
 ただし第一点については、報道しているところとそうでないところがあり、FRBのサイトに登録されているグリーンスパン証言にはないので、証言の後の質疑応答の中で出たものと想われる。よって、日本のマスコミの26日の朝刊段階での報道にはない。「アメリカ経済は急減速を経験した。現時点でアメリカ経済成長率は恐らく限りなくゼロに近い水準にある」という内容。

 第二点は26日朝刊段階で日本の報道各社が伝えている通りです。証言に中に入っていて、グリーンスパンの今までの「財政黒字は債務削減に使うべし」との立場の微妙な変更。どう微妙かというと、基本路線は債務削減優先という立場を変えないで、黒字の増加傾向が顕著な今では、債務削減とともに「surplus-lowering policy initiatives」(歳出増ではなく減税を意味すると考えられる)を行うことができる状況になってきたという見方を示したこと。ただしグリーンスパンは、減税がタイムリーな形で景気拡大に寄与するケースは過去の例を見ても希であることなどいくつかの前提条件を付けているようです。

 まあ私もまだ全文は読めていない。先日から気になっていたのですが、今年も始まったこの会議のサイトのイントロはなかなかかっこいい。


2001年01月24日(水曜日)

 今日の日経の広島版には、山崎拓・山崎派会長がリンゼーに会ったときの話が出ています。「120円云々」の話ですが、まあこの文章を読んでいる方は、「当然あるだろうな」と思うでしょう。

 問題は、アメリカがどの程度の円安を許容範囲と考えているかです。これはこれからの問題ですが、私はかねて書いている通り130円が一つの大きなメドだと思う。
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 尾道での特別鍋セッションの写真を石井さんがアップしてくれました。ちゃんと仕事もしているんですよ。その後で尾道の方々が特別会を開いてくれた。ここです。尾道の皆さん、有り難うございました。東京にお越しの節はご用命(<^!^>)を。


2001年01月22〜23日(月〜火曜日)

 24日朝現在で尾道に居ます。久しぶりの当地。もう7年ぐらい前に一回頼まれて講演に来て以降二回目なのですが、そういう気はしない。というのは、ここの人たちとはメールリンクなどを通じてずっと「keep in touch」なんです。私もたまに書き込む。

 当時聞いた話は忘れていない。青山学院の学生の時に同じ大学にいた尾道の女性に惚れてこちらに嫁いできた(?)男性(桂馬という蒲鉾屋さんの社長さんなんですが)が、朝早い仕事が続いて疲れたときなど東京の方を向いて線路の上で泣いたとか、そういう話をよく覚えていたのです。エピソードが多い(?)街なんです。

 今回も、この会社の石井さんや、船会社の安保(あぼう)さんには講演会の準備などでお世話になりました。主催者は尾道法人会。会員は全員で3000人くらい。そのうちアクティブなのは300人くらいらしいのですが、私が講演した今年の新年研修会には140人くらいの方がいらっしたらしい。

 最初から当地に来るに当たって特に楽しみだったのは、法人会の青年部の有志の方々が鍋の集まりを持っていて、講演会のあと特別鍋の集いを開いてくれる予定になっていたこと。正式パーティーの後で23日の午後8時くらいから始まったのですが、パーティー時には食事を抑えに押さえていたので、準備万端。

 「ちげ鍋」なんですが、主催者のお一人が「最後のラーメンが凄い」を連発。鍋ができあがる前にその台詞を10回ほど聞いた。/(-_-)ヽ コマッター。確かにぴりっとしてうまい。しかし、鍋が進行するうちに鍋二つのうち一つはかなり混乱状態になった。つまり辛みを入れすぎて。私が所属していた方は、完璧に進行。うーん、鍋奉行に問題があったな、一方は。

 最後のラーメンは確かに旨かった。「究極のラーメン」といって今でも都内の一部の店で食べられるものに良く似ている。今年はまだその店に行っていないのでラッキー。

 経路依存的な話も聞きました。福岡ドームも手がけたパイプのデパート屋さんが、本社移転に伴って旧本社を何かに使えないかと検討した結果、「じゃ、ホテルで...」ということになって、この会社のその後のホテル展開のきっかけになったとか。天童の将棋の駒のようなところもある。

 大きな>゚))<<<<市場を経営している経営者からは、「養殖物」に押される天然物の魚市場の現実も聞きました。値段が違いすぎると言うのです。天然物と養殖では。さらに養殖技術も向上して、徐々にその肉質の差は縮まっているらしい。しかも天然はリスクを犯し、捕獲は難しい。で、時には漁師は法的リスクを犯すこともあるらしい。そんな状態だから、漁師の数も減っている。将来は、瀬戸内の天然の魚を食べたかったら、「ご自分でおとりなさい...」という時代が来るのでは、という懸念もあるそうな。

 うーん、この本屋チェーンの社長はんはおもろい方でしたな。年齢不詳。バイクと車と、その他もろもろの趣味人で、この辺の若手経営者のまとめ役という感じだが、本屋さんとあって知識豊富、おまけに話題豊富。今年3月の本の再販制度廃止後のビジネス戦略に関しても、準備万端のようでしたな....。あれ、HPの左側がちょっと間延びしておる....。<^!^>


2001年01月21日(日曜日)

 雪が降って大変だったのは東京もでしたね。土曜日に東京に着いたのは午後5時ごろでしたが、それからずっと日曜日の朝まで降っていたらしい。高円寺のマンションの前もかなり積もっていた。蚕糸の森公園では、子供達が嬉しそうに遊んでいましたが、私も嬉しかった。

 というのは、東北自動車道の久喜の近くの東鷲宮まで行く用事があったのですが、10時半頃スタートしたら道路が空いていること空いていること。出てこれない車、出るのを嫌がった車などなどに加えて日曜日の午前中という要素も加わったのでしょうが、とにかく空いている。

 環七→大泉→外環→東北自動車道→久喜→東鷲宮まで行ったのですが、幹線道路ですから道の雪は全く問題なし。所要時間は50分ちょっとと今までの最短記録。びっくりしました。午後3時過ぎの帰りは少し車が出てきていましたが、それでも順調だった。帰りは大好きな田中屋の蕎麦をいただいて。
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 「そうだ、今日はブッシュの...」と思ってホワイトハウスに行ったら、いやに寂しい。政権移行期でホワイトハウスのHPのデザインをどうするか、まだ詰まっていないんでしょうね。

 日本でも省庁再編時から今までHPの混乱が続いている。科技庁と文部省が統合されたりして、今までのHPのフロントも作り直しが必要。私の記憶でも金曜日になって初めて文部科学省のHPは立ち上がってきていた。一番動じなかったのは財務省。URLはそのまま。

 メールアドレスを変える人が嫌いなのと同じ理由でHPのアドレスを変えられるのは非常に困る。リンク先を変更しなければならないので。まあ日本の官庁の場合は小生は首相官邸に張って、あとはそこから入っていくという方式をとっていますから、実害はなかったのですが。
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 ブッシュの就任演説はさっと目を通しましたが、あまりパッとしないというのが印象。練りに練り、暗記をしたらしいが、いまいちでしょうか。まあ、「過大評価されるより過小評価された方が良い」というのがブッシュの考え方らしいので、low key からのスタートということでしょうが。

 それでもネット上に残っているファイルなどで様子を見ると、寒そう。小雨が降っていたようで、風邪を引いた人が大量に出たと思う。デモも凄かったようで、ある意味では寒々しい出発。

 しかし、今までの閣僚などの発言を聞いていると、「非常に統制の取れた政権」というイメージがする。経済問題などでも、あまりぐらつきがない。まあ、本番はこれからでしょうが。


2001年01月20日(土曜日)

 雪が降ったのは名古屋でした。午前中から牡丹雪が降って、私が送ってもらう頃には道はシャーベット状になった。あのまま降り続いたら、夜の名古屋は大変なことになるでしょう。名古屋は今年は異常に雪が多いらしい。「本当によく降る」とここの方々も口を揃えていた。

 帰りに瀬戸などの2005年の名古屋万博の予定地を見せてもらいました。自然保護か万博かでもめたところでした。しかし、私に言わせれば「万博」というのもずいぶんと古色蒼然としている。政府がやっているらしいインパクに興味がないのも、「万博」の発想から出ていないからです。

 なぜかと考えてみたら、要するに何でも揃えているという印象がする。まあ言ってみればデパートです。専門店ではない。興味がわきませんね。まあおやりになるというのなら結構ですが。
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 講演の対象は58名。全員が東海地方の中小企業の社長さん達。平均年齢49.4才という方々。女性が7人。土日と、名古屋から中央線で30分の高蔵寺からタクシーで20分ほどの孤立した施設に泊まり込んで研修を受けている。

 携帯はOKでしたが、ピッチが使えないのでびっくり。しかたないので、FTPも講演も施設(立派でした)備え付けのPCでやりました。FTPを自分の使い慣れているPC以外でやったのは初めて。入っていなかったので窓の杜に入ってダウンして。終わったら削除しておきました。

 研修はわざわざ土日にしているのだそうです。受講者が増えるように。皆さんなかなか熱心でした。まあ熱心にならざるをえませんよね。経済はかなりのスピードで変わってきている。ここにこられた社長さん達も経済の変化をどう考えれば良いか、自分の会社をこれからどうするか思い悩んでいるのでしょう。
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 講演にちょうど良かったのは何の気なしに東京駅で買った「チーズはどこに消えた ?」(Who Moved My Cheese ?)を名古屋駅で降りてから高蔵寺に向かう電車の中で読んだのですが、「うーん、これは紹介する価値がある....」と。

 至極簡単な本です。しかしこういう簡単な本なんでしょうね、大勢の人から支持を受けるのは。30万部。最近は経済を扱った本でも小難しい本はちっとも売れなくて、常識はずれの本が売れている。日本人が脳軟化になったのではなかろうか...とも思いますが、数多く売れるのは一つの力ですから、文章を書いている人間としては一つ参考にせざるを得ない。20分で読める本です。


2001年01月17〜19日(水〜金曜日)

 忙しくしていて、やっと一息ついたと思ったら金曜日の夜でした。しかも新幹線の中。なんで....ってなもんです。今日は名古屋泊まり。実は明日中小企業大学校瀬戸校とかいうところで2時間くらい喋るのです。まあ、社会奉仕のようなものです。

 今週末から来週、再来週と出張がずらり。今名古屋で来週は尾道、広島で再来週は松山。それぞれニーズは少しずつ違う。久しぶりにインターネットをオンラインにした講演をしようと思っています。そのニーズがあるので。そのためには、講演会のためのホームページを作らねばならない。それほど時間はかかりませんが、まだ明日の分は作ってない。ちょこっとこれから作らねば。
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 なんで今週忙しかったか考えたら、一つ長い文章を書いていたのです。2月10日発売の中央公論3月号が「おかしいぞ日銀」という特集をするのですが、私はグリーンスパンFRBとの比較から見た日銀論。長くないと思っていたら、9000字以上の結構大きな原稿だった。

 日銀には日本経済の再生のためになすべき事があり、それへのエールの意味もあって少しきつい書き方をしました。まあお読みください。日本の苦境は全て日銀のせい、などと馬鹿げたことを書いている奴もいるらしい。私はそんな立場は取らない。
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 それにしても寒い。この一両日は熊、冬眠する熊の気持ちが分かる。寒いと少し動いただけで疲れるので、直ぐ眠くなる。どうしても眠いので、結構忙しい割にはよく寝ました。この数日は。天童が非常に寒かったので、その名残を体に残すと必ず風邪を引く。事実、天童に一緒に行った仲間から「風邪を引いた」というメールが来た。

 からだに進入しそうな「寒さ」を追い払うには一度からだをめちゃ暖める必要がある。その方法は二つしかない。めちゃ暖まって寝ることと、めちゃ暖かくして日中行動する。一度「こりゃあつい」と感じるところまで行けば、もうOKです。からだから寒気はなくなる。タクシーの運転手によれば、20日は東京はまた雪ですか。帰ってこられるかしらん.....。


2001年01月16日(火曜日)

 東大で月尾教授に聞く !という副題の本がありますが、私も昨日は友人と東大の月尾先生の教授室に。正門から入って正面に安田講堂を見て左に折れ、工学部の8号館に。

 いっそがしい人です。電話がひっきりなしにかかってくる。先日内山さんの番組への出演の際に本を頂いたお礼と、「この方はどんなところで働いておられるのだろう...」という興味もあって。この本この本を持って。前者を見て、「あ、この伊藤さんでしたか。私この本を読みました.....」と。嬉しいじゃないですか。でも一冊置いてきました。この本、今度日経から文庫になります。

 もう一人はあとで、「あれは大きい方」と言っていましたが、私は「狭い..」と感じました。中央にでんと大きな机があって、その奥左側に先生の机がある。中央の大きな机は奥半分は本の堆い積み上げで埋まり、入り口側半分が応接代わり。我々の多くの質問に丁寧にお答えいただいた。感謝です。またお会いしたい人。今年は会いたい人には、バシバシ会うという方針です。
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 週末の天童関係を一本にしました。ここですが、肝心の天童の方のページはちっとも更新されない。もっとスムーズに更新すれば良いのに.....


2001年01月15日(月曜日)

 シシリーに縁のある一日。午前中に携帯に電話。誰からかなと見たら「kitchen」という表示。あんら...と思って取ったら、この店のご主人様。お帰りでございました。シシリーから。19日からフル営業とのこと。

 午後東京新聞の日銀担当の久留記者が来訪されたのですが、話していたら2月のG7の話になった。開催場所を知らなかったので、「ところで、G7ってどこでしたっけ....」と聞いたら、久留さんが「パレルモです....」。シシリーの中心的都市です。G7も金融センターというよりは、マフィアのセンターでの開催。

 G7が行われるといつも気になるのは、「声明」がいつ何語でどこに出るのか。日本やアメリカで行われた場合はネット上に比較的早期に声明が発表される。私はこうした会議の声明は熟読する方で、原文がなるべく早く欲しい。G7は大体が土曜日ですから、日本では日曜日の日中に終わる。それから声明が流れる。要旨などの形で。

 それがなかなか全文入手は難しい。本来は秘密会議で始まっているので、「声明」というものを誰がどうどこに発表するかは決まっていないのでは。以前はウォール・ストリート・ジャーナルが比較的素早く全文を掲載していた。しかし、最近は遅い。

 最近頑張っているのは財務省の「外為・国際通貨」の「国際会議」のところに比較的素早く全文が載る。ブルーンバーグも素早いかな。日本の通信社は翻訳しか載せないから、役に立たない。
 


2001年01月14日(日曜日)

 主催者が発表した2万人は苦しい。しかし、そうでんな1万数千人は来ました。雪の中を。まあ結構な人出。校庭外縁をぐるっと29の鍋が並び、そこに長い列が出来る。各鍋は一杯300円から500円。考えてみれば、結構高い。しかし、勢いなんでしょうね、皆3つ、4つの鍋を食べる。天童市の平成鍋大会で30秒宣伝をする我がチームの内藤、水木、木下、辻、石田の各位(右から)

 イベントもいろいろあった。小学生の音楽隊の行進、幼稚園の生徒による演舞、それに5人のギャルによるパラパラ教室。しかし、それよりもなによりも、30近い鍋が一挙に食べられると言うのがこのイベントの最大の魅力です。

 我々の鍋は、この優勝鍋で、最初は50杯の予定でしたがあまりの地元の期待の高さに急遽2倍の100杯限定にした。あっという間に売り切れました。うーん、地元のテレビ局がまっさきに取材に来て写していったな。

 地元の期待の高さ故に、ホテルの厨房の一角を借りてザーサイを事前に塩抜きして千切りにするなどで山中さん、辻さんに活躍いただき、我々チームの女性二人(当日参戦)が到着するまでに、なるべく出来ることは片づけることにした。

 9時半にホテルのマイクロバスで全員で乗り付けると、すでに会場には鍋を待っている人がパラパラ。食べられるのは午前11時半からなのに。しかし、寒い。この時はまだ晴れていたのですが、製作の方は手分けして仕事をする一方、いろいろ周りの鍋チームから借りたり本部から調達したりしてなんとか完成。

 午前11時30分の「出陣」の直後は校庭はパニック状態。一斉に食べたい鍋の前に大勢の人が押し寄せるのです。壮観でした。我々は総勢14人もいましたから作るチーム、作っている人のために他の鍋を調達するチームなどに自然発生的に別れて。そうですね、私が食べられた範囲では、熊鍋、ルーマニアの汁などがおいしかった。食べ残したのは、鯨鍋。他の人々はこれが美味しかったと言っていたので、ちょっと悔しい。
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 人、ヒト、ひと実は前夜祭の写真にも良く現れているのですが、我々東京から参戦した14人は一つ共通の目印をしたのです。赤のフリーツをネクタイ縛りして全員クビに掛けた。ははは、これが決まりましたよ。暖色の赤。あれで青かったら、一段と寒さがつのった。これを買いそろえてくれたのは、辻、石田の両姉御。ユニクロで1000円のお品でした。天童の鍋の旗の上下も赤でよく調和した。

 他のチームも嗜好をこらしていて、派手な戦陣服を着た連中もいましたが、お揃いはなかった。まあ、天童の人は全体にまじめな人が多い印象。前哨戦でも、いらいらするほのど前置きが長かった。市長さんの挨拶も含めて。

 どうしましょうかね。来年は。ルーマニアの鍋を作っていた彼の国の女性13日の前哨戦で食べたのは「かも鍋」「えび鍋」「鮭鍋」「チゲ鍋」「じょさね鍋」「とろべこ汁」「じょんがら汁」「大八鍋」「芋鍋」の9種類の鍋でしたが、本番の14日は実に我々の鍋を含めて29の鍋が出品された。全部書き記します。

  1. 北本町商青会 元祖ちゃんこ鍋
  2. 天童商工会議所青年部 天童織田藩大八鍋
  3. 女性会 大八しるこ・みそ田楽
  4. 天童鍋物愛好会 もつ鍋
  5. 天童商工会議所青年部 米沢牛とろべこ鍋
  6. 割烹調理所天童支部 鮭鍋
  7. 同上 あんこう鍋
  8. 同上 天童鴨と山菜のめんたい鍋
  9. 同上 たらばガニ鍋
  10. 同上 地鶏鍋
  11. 鶴岡商工会青年部 えび鍋
  12. じゃがらもがら交流協会 熊鍋
  13. 新庄商工会議所青年部 かも鍋
  14. 仙台藩 伊達鍋
  15. 長井商工会議所青年部 じょさね鍋
  16. 山形魚商協同組合青年部 さかな屋さんのくじら鍋
  17. 石巻商工会議所青年部OB会 かき鍋
  18. 天童料理飲食店組合 山の幸ふるさと鍋
  19. 高麗館 豚キムチ鍋
  20. Tプロジェクト 陣中鍋
  21. 山形商工会議所青年部 いも煮
  22. 酒田商工会議所青年部 庄内どんがら鍋
  23. 陸奥部屋直伝 ちゃんこ鍋
  24. 天童市国際交流協会 カンジャ・デ・ガリーニャ(ブラジル)
  25. 同上 中国海鮮鍋(中国)
  26. 同上 チョルバ(ルーマニア)
  27. 同上 チュペ(ペルー)
  28. 同上 タットリタン(韓国)
  29. 全日本鍋物研究会 癒し鍋
 でも全国各地には数え切れないほどの鍋があるんでしょうね。我々の今年の鍋大会は2月4日の日曜日に実施します。見学希望は結構ある。


2001年01月13日(土曜日)

 天童は20年ぶりという大雪でした。山形県は東京から見ると全部「雪どころ」ですが、山形県でも普通の年は天童市と山形市は比較的雪が少ないのだそうです。しかし、今年は20年ぶりという大雪。道まで雪が固まっていて、しかも半分氷になっている。歩いていても滑る。車もみなノロノロ運転。この雪には地元の人も驚くのだから、我々も驚く。

 前哨戦の会場で、キャンペーン・ガールと全員写真 上段左から山中夫妻、今泉夫妻、私、水木、小森夫、内藤、辻、小森妻で、中段右側の女性二人は石田、木下。下の段左から佐野さん(ジモチー)、キャンペーン・ガール二人、奥島さん実は私は山形新幹線に乗るのは初めてなのです。メンバーの中にそういう人が多かった。東京で乗って一時間半したら、一面の雪景色。これが実にきれい。たぶん昨夜まで雪が降っていたのではないかと思います。天童市でも50センチは積もっていたでしょうか。

 駅に着いていたら鍋大会の実行委員長である出羽桜の奥島さんら大会の幹部3人が迎えに出てくれていて、お互いに「よろしくお願いします....」ということになった。寒い。ホテルに移動する前に山形蕎麦をいただき、その後は準備でした。スーパーに買い出しに行き、東京から送った食材がついているかをチェックし。
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 前哨戦はホテルの120人くらいが入る会場でにぎにぎしく。市長の挨拶まであって、なかなか地元としては力が入っている。もともと初市があって、それを活性化するためのイベントとして平成になってから始まった大会なのだそうです。力が入っていると言えば、会場を下見に行ったのですが、大型の除雪車が3台も入っていて、その他は一面の銀世界なのですが、会場周辺だけはきれいに片づけている。しかし、明日はまた大雪だそうです。どうなることやら。

 天童市は「天童織田藩」の領地だったところ。織田の名字で判るとおり、織田信長の血を引く一族だそうです。市長が前哨戦の挨拶でえらく長く天童市の説明をする。ははは、会場の9割は天童の人ですから、その天童に関する説明は我々を主な対象にしていることは明確。

 聞けば、「わざわざ東京から鍋大会に参戦してきた....」ということで、天童のラジオ、テレビは大々的にこのことを宣伝しているというのです。食材がついていなかったら(雪の後遺症で)棄権しようと思っていたのですが、とんでもないことになっていました。食材は結局ついていましたが。

 まあ、13日の夜現在全て準備は整いましたから、なんとかなるでしょう。しかし、明日の予想は雪。しかも寒い。夕方終えて、ちゃんと東京に帰れるかしらん......。


2001年01月12日(金曜日)

 おもしろいものを二つもらった一日でした。内藤君からもらった「American Psycho」の試写会のチケットを私が行けないので小林君に回したのですが、彼が試写会のおみやげとして持ってきてくれたのが「e-Card」なるもの。何かというと、名刺大の四角にしたCD-ROM。写真の通りです。これをCD-ROMドライブに入れると、映画の予告が実にきれいにPC上で見られる。四角いCD-ROM 映画の宣伝用の動画、資料などが入っている

 入れると自動再生して、映画の宣伝シーンが切れ目なく出てくる。作っている会社はこの会社なのですが、この会社のサイトがいったい何なのかは判らない。ふざけたサイトですが、いずれにせよ四角い、そして映画宣伝用のCD-ROMは初めてでした。彼は手厳しいから、この映画に対して下した評価も辛かった。ファイルが手元にないので載せられませんが。

 もう一つは、「State Quarter」。クオーターはアメリカでは25セント硬貨ですが、ニューヨークから一時帰国した佐々木君が持ってきてくれた。見ると、表面は同じデザインなのですが、裏を見ると州の花、鳥などが刻まれてニックネーム(たとえば South Carolinaなら The Palmetto State)などと刻印してある。ネットで「State Quarter」を調べたら、一杯サイトがある。

 なぜこういうものが作られているのか知りたかったのですが、サイトが多すぎてそこまで手が回っていない。10州の分が出ているそうです。ペンシルベニアとデンバーの造幣局で作っているそうで、「P」「D」の区別が硬貨に刻印されているのですが、私のもらったのは全部「P」でした。西海岸は「D」が多いらしい。
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 昨日書いたエリクソンの話については、「こんな話ではありませんか」ということで、ある方からメールをもらいました。

私も常々、ドコモの障害危機を懸念しております。

忘れがちなのは、「無線は有限、有線は無限」という一見、「空間って無限じゃないの」という常識と違うような原則です。

ネットワークでは帯域ということが常々言われてきました。 有線では、ブロードバンドの名前のもと、バックボーンを拡充し、さらに家庭に 太い回線を引くという対処でどんどん大容量化が進んできたのです。

しかし、無線の帯域は無限ではありません。 このために、長い間の地上波の支配が続いたのでした。 放送が免許制なのは、有限である電波の振り分けを国家管理で行なわなければな らないためです。 有線ならば、別の光ファイバーを敷設すれば帯域幅は広がります。

前振りはこのくらいにして、 国際企画のIMT2000では、データ通信は2Mが視野に入っています。 というのも、今晩の番組案内などビデオクリップなどを流すことや、外出中に訪 ねてきた訪問者をCCDからの映像転送で確認するということなどが考えられて います。スムーズな映像には、2Mぐらい必用ですから。

ところが、現状のドコモの方式だと、1アンテナ当たり4人程度が同時にビデオ 画像を見ると、この無線の帯域を占拠。他の人が使えなくなる可能性がかなりあ るのではといわれています。細切れのパケットなので、動くはずと主張しても、 渋滞になってしまってはデータは動かない。 2Mはまだですが、384Kでも同時に使う人が増えれば、込み合ってどうしよ うもないはずです。

このことがあって、クオルコムなどが、データ転送は別の方式(HDR)にしよ うと提唱しています(これも国際規格準拠)が、これまでの巨大な設備投資をし ているドコモは、引き返すことができません。

少なくとも日本で成功しないと、海外提携をいくら進めても技術の輸出はできず、 リーダーシップは握れないということです。

地上波のデジタル化推進を急ぐのは、デジタル網が完成したのち、余った帯域を 携帯電話に振り向けようという意図もあります。

 そうか、ピッチで一時起きていたことが起きる危険性があるということですな。その地域の人が一斉にピッチを使ったら、使えない端末が出てくるという。なるほど。ということは、アンテナという設備投資を膨大に行わないと、使用者が増えれば増えるほど通信状態は悪くなる、しかしクリティカル・マスを越えないと汎用のマシンとは言えない....どうするんでしょうね。ドコモは。


2001年01月11日(木曜日)

 昼過ぎに出かけるために千駄ヶ谷の駅で電車を待っていたら、反対側の電車から外国人とその扱いにとまどい気味の日本人が降りてきて、二人でああでもない、こうでもないとやっている。まだ電車がきそうもないので、声をかけたらその外人は板橋に行きたくて、道に迷っていると判明。日本人の方も親切そうな人でしたが、見ているともう一つ要領が悪い。

 そのときは小生はちょうど池袋に向かう途中でしたので、「come with me」といって総武線に乗り、一緒のところまで話をしながら行ったのですが、ヨルダン人でエリクソンに働いていて、担当は携帯電話.....ということで話をしていたらおもしろかった。。

 彼は盛んに「ドコモはネックスト・ジェネレーションの携帯電話で傷害にぶつかる....」というのです。へえ、と思って詳しく聞こう思ったら分かれる地点に来て、はいそれまで。まあでも気になる話なので、「give me a mail」といって分かれました。早口で言っていたのは、次世代携帯電話の電波処理はなかなか難しいというようなことでした。ははは、メールが来るのが楽しみですな。板橋には何か電話に関する研究所があるのだそうです。
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 「日本も捨てた国じゃないな...」と。実はちょっとタクシーの中に忘れ物をしたのです。チケット。週末には使うチケットで、なくしたのが火曜日。千駄ヶ谷で乗ったタクシーなのは分かっていた。しかし、忘れ物センターなどに手配しても駄目。もう駄目かなと思っていたら、東武東上線の大山駅近くのJTBにあることが判明した。

 どうやらタクシーの運転手が届けてくれたらしい。なくしモノが戻ってくるというのはうれしいものです。この過程でおもしろいことが分かった。JRのチケットというのは、払い戻しにかなりきつい縛りがある。JTBが発行したものはJTBでしか払い戻しが出来ないし、VIEW CARD で買ったチケットは現金を手にすることは出来なくて、カードのアカウント上で相殺措置がとられると言うことです。カードか発行時に出る証明書とともに。

 ということは、JRのチケットを拾った人が窓口に行って払い戻しを得られるのは、現金で買ったチケットだけということになる。
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 デジタル加入者線(DSL)の加入契約に関して朝日は「9日現在で1万件を突破」と報道。しかし、たったの一万人ですよ。私を入れても。(^_^) 東日本地域で8846件、西日本地域では1291件とえらく非対称になってますね。「年内に200万回線を目指したい」との声もあるそうですが、韓国は昨年秋時点で197万回線、アメリカが同95万回線。


2001年01月10日(水曜日)

 うーん、しばらくはこれは大人のおもちゃですかね。だって、5月に発売されても使えるのは都内23区と横浜・川崎。半径30キロに拡大するのが夏。関西・東海で使えるようになるのは秋、全国主要都市でのサービス開始は2002年の春。「これがそれです」と今年の夏に尾道に講演にもっていっても、電波を拾わないタダの入れ物に過ぎない。

 何の話をしているかというと、次世代携帯電話。午後所用があってドコモ・ショップ赤坂見附店に行って、何の気なしに「次世代携帯電話は.....」と聞いたら、「そこにあります...」。ほう、従来の携帯電話タイプの3機種と通信用一機種(カードスロット用)。PDAもありました。彼女らはそれを「モック」と読んでいたのですが、要するに製品イメージ、模型。

 ドコモのサイトを見ましたがこれに関する情報がないのでちょっと説明すると、次世代携帯電話が提供するサービス名は「FOMA」(Freedom of Mobile multimedia Access)というらしい。名前は i mode (愛モード)より色気がないね。サービス内容は

  1. 使用者から見てデータの outgoing は64kで従来のISDNのスピード
  2. 同incoming が速くて384k
  3. 携帯型3機種のうち1機種の重さはかなり軽く従来の60グラム台かそれより軽い。このタイプは胸のポケットに入るような、ちょっと猫背っぽい形をしている。白基調
  4. もう一台は緑が基調の従来タイプですが、これは堅牢な形でしゃれているこれは100グラム程度でしょうか
  5. カメラ内蔵型の一台は白と赤の色調でカメラの分だけ重い
 従来の携帯電話の通信能力は9600bpsで、ピッチの最高通信速度は64kですから、一気に携帯がピッチを抜くことになる。しかし、忘れてはならないのは全国にサービスが広がるのは来年の春以降だということです。それまでは64kのピッチは放せないし、従来の携帯も放せない。全国ネットになるまでは、「FOMA」対応の機種は、遊び的セカンド機種ということになる。世界中で使えるのは、再来年以降でしょうか。incoming の384kは従来のISDNの64kとADSLの640kのほぼ半分。

 速いということ以外の主なサービスは

  1. マルチコールサービス=音声通信とパケットデータ通信の併用が可能で、データをやりとりしながら同時に通話も可能
  2. 添付機能=i mode メールに画像や音楽の添付も可能
  3. テレビ電話が携帯一つで可能に
 などでしょうか。でもね、これは私の懸念ですが、先日東京大学の月尾教授と話をしていたら、次世代の次の次々世代携帯電話について「まるで電子レンジに頭を入れているときのような....」と話をされていた。従って多分、次世代携帯電話もイヤホンとマイクを頭の近くに置くものの、本体は体から離して使うのが賢明かも知れない。

 今の携帯電話でも、スピーカーのあるところで使うと、電話が掛かってくる前からスピーカーが大きな雑音を拾う。今度の携帯電話は通信速度が最大40倍ですから、それだけ電波はパワフルになる。あまり体、特に胸や頭、それに腰には近づけようとは思わない。

 うーん、鍋を食べるのを数回スキップしても、まあ出たら「どんなもんじゃい」と使ってみたいですがね。値段は全く決まってないそうです。
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 鍋と言えば、昨日はここと、ここと、ここのオーナー3人と大塚の串駒で「いしりみぞれ鍋」を食べましたが、うーん前宣伝(メンバーの一人の)ほどにはうまくなかったな。発射台が高くなっていましたから。

 あんなオープンな場所ででかい声で4人で大激論、非難合戦、足の蹴りあい。危険かつ、近所迷惑の限りを尽くした。ははは、でもおもろかったんですよ。2月に新橋の趙揚での再戦を誓い合いました。


2001年01月09日(火曜日)

 いよいよ今週末に迫った山形県天童市での「鍋コンテスト」のための最終打ち合わせをチームの4人で夜実施。といってもフル出場はしません。フル出場はなんと500人前を作るのです。資材を運ぶにも、容易じゃない。トラックやリヤカーが必要かもしれない。私たちのように前日に行ってちょこちょこということでは無理で、初参加の今回はまずは様子を見る....ということで。

 しかし、全日本鍋物研究会としては、ただ見学するのではプライドが許さない。で、妥協案として「参考出品」「50人分の限定製作」ということで、落ち着きました。一杯500円で売る。ははは、まあこれだと資材の調達もうまくいくでしょう。かなりの部分は東京からクール宅急便で送ります。

 作る鍋は、昨年の優勝鍋であるこの鍋を作ります。我々4人だけではなく、天童に行くのは鍋研のメンバーで行ける人全部で14人。先週末だったら、行けなかった。山形新幹線は止まりましたから。来週はどうでしょうか。これだけは神頼み。

 まあでもかなり楽しみなのです。こういう馬鹿なことが楽しい。「なぜそんなことをするのか」と言われれば、特に説明する気にもなりませんね。楽しいから。でも、難航苦行でもあるんですよ。鍋コンテストの会場は小学校かなにかの校庭。そこで寒風に晒されながら、何時間も立っている。でも、他の数多くの鍋も食べられますし、地元の方々とも会える。9日夜立てた作戦の一つは、水曜日くらいから食事は控えめにして、日曜日に備え、月曜日からまた数日は食事を抑える....というものでした(あほらし.....)。

 ところで、今年の鍋研のコンテスト(第5回)が二月の前半の日曜日、今年は2月4日に新宿の東京都健康作り推進センターで行われます。私は広報部長も兼任していて、このコンテストに参加してみたいというグループを募集します。一チーム、3〜5人ですかね。われこそは「我が家独自の鍋を紹介したい」「創作鍋に自信あり」という方々の積極的な参加を歓迎します。まずはメールから。
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 田中さんのサイトを見ていたら、新潮社の斎藤十一(じゅういち)さんがが亡くなられたとのこと。むろん直接的には存じ上げませんが、新潮社と佐藤家の関係の深さは知っていました。今の週刊誌の形を考えた人だとか。「藪の中」方式ね。

 私もこのコーナーで一回取り上げましたが、総合週刊誌には冷たい風が吹いている。彼の文章には

「週刊読売」が姿を消し、「週刊宝石」も消え去ろうとしています。「週刊現代」「週刊ポスト」も急激に部数を減らしています。写真週刊誌にも10年前の勢いはありません。たぶん将来的に生き残る週刊誌の数はかなり限られてくるでしょう
 とある。その通りでしょう。日本は正月のテレビ番組も愚劣なのが多かったし、雑誌も読もうと思うものが少ない。曲がり角でしょうね。


2001年01月06〜08日(土〜月曜日)

 うーん、確かに速い。速さを感じるのは、1)写真など文章以外のデータの取り入れ時 2)ソフトのダウンロード時 3)ネットテレビの音質の良さ、映像のムーブメントのスムーズさ 4)リトリーブ対象の画面の全体が出現するスピード 5)メールの送受信ーーなどでしょうか。

 コンピューターを立ち上げるとすでにもうネットにアクセスしていて、ブラウザーを立ち上げるともう使えるというのも、今までと大きな違いでしょうか。まあ、便利になったということです。ネットスケープをダウンロードするのに一晩かかったというのも、懐かしい思い出。MP3などのダウンロードも素早くなるでしょう。

 しかし思ったのは、速くなったのは確かに前進だけれども、それで小生のネット利用術が大きく前進するわけではないということです。ネット利用のメリットは、結局は利用者の器の中でしか発揮できない。それを越えることはないわけで、利用者の器が大きくならなければ、ネット利用術も高まらないと思うわけです。ですから、ブロードバンド化する、ネット接続が速くなると言うのはネット利用の一局面でしかない。残るのは、利用者の能力ということです。
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 実はADSLの接続をしたのは、小生ではない。時間がかかっても自分でと思っていたのですが、土曜日にeAccessの接続工事担当者の並木さんという方が来てくださって、私が書き置いたメモを見て、こちらが希望することは全て片づけてくださった。ミニハブを通じた二台のコンピューターのADSL接続、LANの回復。tks

 しかしADSLの接続に関しては、これといった教本がまとまって出来ていはいないそうなのです。まさ全国で数千人の利用者しかいないということで、揃っていないようですが、でもこれは心配。何かあったときに、回復作業は私がやらないといけないのですが、今までのように「ほぼ全て把握」ということにはなっていない。まあ、あちこちを開いて、いままでとの違いを見ると同時に、並木さんにメールを打って何をどうしたか調べておくつもりですが。
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 この週末は雪との格闘。日曜日に諏訪に行ったら午後から雪。一晩中降っていて、朝はストップ。しかし懐かしいことをしました。10センチくらい積もりましたかね。雪かきですよ。結構重い雪だった。家の周りを。

 土曜日は風の中7キロを歩き(皆さん、お疲れさま)、月曜日は雪かき。日月も結構歩きましたし、運動にはなった3連休でした。


2001年01月05日(金曜日)

 ADSL接続と格闘しています。NTTの工事は無事完了し、渡された書類に書いてある通り接続して、ADSLモデムも正常に稼働しているのですが、どうもPCの設定が悪いらしい。フレッツを同時に走らせているのが悪いのかもしれませんが、「接続の共有」も切れちゃったし、LANもおかしくなっている。

 私のマシンも、一台は windows 98 のセカンド・エディション、もう一台は windows 2000と複雑。説明書は98用が来ているのですが、私としては使っているミニハブにADSL経由のデータを入れて、それを二台のコンピューターで共有したいのです。

 今まではどうしていたかというと、フレッツISDN経由のデータを98のマシンに入れて、それに「接続の共有」をかませてミニハブ経由で2000のラップトップでも拾っていた。この方式を踏襲するとしたら、ADSLをUSB対応で受けて、ハブ経由のLANはそのままという方式が良かったかもしれないのですが、ついルーター経由を選んでしまった。まあ、この方式の変更も考慮対象です。

 しかし、全体的に言うと何か非常に簡単なことが出来ていない気がする。まあこの週末にいろいろ調べて直します。トラブルはあった方が、原理原則が判って良い。でも火曜日までに出来なかったら頭にくるでしょうね。


2001年01月04日(木曜日)

 米利下げに関しては、ここにまとめておきましたから、興味ある方はお読みください。非常におもしろい意味合いをもった利下げだと思う。ブッシュにエールを送ると同時に、警告を与えている。

 私が米利下げ関係で一番興味深く読んだ記事は、このニューヨーク・タイムズの記事です。私と同じ興味の下にこの記者は記事を書いている。あとの記事は読んでもあまりおもしろくなかった。
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 昼頃テレビ東京の内山さんから電話で、「FRBの利下げに関して.....」と。BSで内山さんがキャスターをしている番組への出演依頼。夜は用事がありましたが、午後は特になかったので伺いましたが、ゲストに最近この本を出された月尾教授が来ておられて、私も内山さん、勝恵子さんとともにかなり長い間お話を伺いました。

 ITに関してはほとんど考え方が同じだったので特に目新しい話はなかったように思うのですが、教授が挙げられた次の時代に向けたスローガンは興味深かった。

ITからNTへ

NIIからNNIへ

 昨年10月02日の日経経済教室に詳しくは述べられていますが、どちらも「I」から「N」は「インフォーメーション」から「ナノ・テクノロジー」への重心の変化を示唆したもの。一冊良い本を紹介していただきました。ナノ・テクノロジー関連で。「創造する機械―ナノテクノロジー 、原書名:ENGINES OF CREATION:The Coming Era of Nanotechnology〈Drexler,K.Eric〉 ISBN:4893620894」という本。私は早速紀伊国屋でウェブで買い手続きをしましたが、「在庫なし」ということのようです。ちょっと時間がかかる。

 「IT革命のカラクリ」なる本はいただきましたから、これから読もうと思っています。教授はこれなどあちこちで活躍されている。


2001年01月02〜03日(火〜水曜日)

 おやおや、年初は騒々しい年明けですね。米連邦準備制度理事会(FRB)が緊急にフェデラルファンド金利と公定歩合を引き下げ。声明は以下のように言う。

Release Date: January 3, 2001

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to lower its target for the federal funds rate by 50 basis points to 6 percent.

In a related action, the Board of Governors approved a 25-basis-point decrease in the discount rate to 5-3/4 percent, the level requested by seven Reserve Banks. The Board also indicated that it stands ready to approve a further reduction of 25 basis points in the discount rate to 5-1/2 percent on the requests of Federal Reserve Banks.

These actions were taken in light of further weakening of sales and production, and in the context of lower consumer confidence, tight conditions in some segments of financial markets, and high energy prices sapping household and business purchasing power. Moreover, inflation pressures remain contained. Nonetheless, to date there is little evidence to suggest that longer-term advances in technology and associated gains in productivity are abating.

The Committee continues to believe that, against the background of its long-run goals of price stability and sustainable economic growth and of the information currently available, the risks are weighted mainly toward conditions that may generate economic weakness in the foreseeable future.

In taking the discount rate action, the Federal Reserve Board approved requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of New York, Cleveland, Atlanta, St. Louis, Kansas City, Dallas and San Francisco.

 全米購買部協会の景況指数が一段と悪化し景気の先行きへの不安が強まる一方、年末日、そして年明けの株式市場が大幅な下落をしたことがFRBの緊急利下げに踏み切らせたのでしょう。この予想外の年初のFRBの緩和行動を受けて、米株は急騰。

 今回の声明で非常に珍しいのは、リスク認識を「今後の景気鈍化の危険性」に置いた上で「it stands ready to approve a further reduction of 25 basis points in the discount rate to 5-1/2 percent」 と公定歩合の更なる25BPの引き下げ予告をしている点。市場に対して、一段の金利引き下げの姿勢を強調している。利下げ幅も予想された25BPではなく、50BPと大きい。

 12月19日の前回FOMCでなぜ利下げの判断が出来なかったのか、は今後議論の対象となるでしょう。あのとき利下げしていれば、今のような景況感の急激な悪化を見なくて済んだかもしれない、という議論が成り立つ。次期大統領にブッシュが決まったことも緊急判断に関係があるでしょう。またFRBとしては、クリスマスセールの行方なども見ていたのかもしれない。

 いずれにせよ、今の経済はFRBの予想を超えるほど変化が激しいと言うことです。とりあえずは knee-jerk reaction で上げた株式市場ですが、この市場がどうなるかがポイントです。あと、企業と消費者の景況感。


20010101日(月曜日)

 おお、01が三つも続くのはなかなか壮観。まあ私がたまたまこういう表記が好きだということからきているのですが。いずれにせよ、2001年と21世紀の始まり。多事多難な年、世紀になりそうですが、何もなくて退屈するよりは良いでしょう。変化を楽しみながら行きましょうや。

 私は、今年のキーワードを「技」に決めました。全体に「丸腰」になっているような気がするのです。日本という国が、そして日本の企業、そこで働いている我々が、そしてこの国土で生きている人間が。

 国の対外的な「技」は外交ですが、どう見ても今の日本には「技」がない。朝鮮半島の激変には指をくわえているだけで、日本の安全保障に大きな問題なのに参加できず。北方領土問題でも、ロシアの出方を見るだけで、手も技もない。政権が変わったアメリカの対日姿勢はかなり違ってくるでしょうが、日本の方にそれをテークチャンスしようという外交的意志も、技も、業師もいない。中国については、おろおろしながら見ているだけ。

 日本企業も一生懸命やっているのだが、どうもそれが空回りしている気がする。技術と一生懸命さというメリットはあるのに、それをもって世界に対して存在感をアピールできる「技」をもった企業は少なくなっているような気がする。言語の壁から日本の企業が一番存在感をアピールできるのは製造業ですが、そこも大丈夫だろうかと思ってしまう。

 日本人は企業よりもっと「技のない国民」になりつつあるような気がする。横並びが駄目なことは皆気がついている。横並びということは「特徴がない」「技がない」ということだから、いざというときにはみんな丸腰だということだが、ではそこから抜け出す方法についても「横並び」で見つけようとするから、見つからない。日本人は一人一人が皆、もっと「技」を持つ必要がある。

 「技」には、好ましくないイメージもある。「小手先の技」「技に溺れる」などなど。しかし、「技」はあらゆる局面で必要なものである。技を少し大きくすれば「仕掛け」だが、それは演劇には欠かせないものだし、人の一生でも国家でも企業でもなくてはならないものである。良い仕掛けがない国、企業、個人は生命力に欠けるし、周りから見ていても見飽きる。

 いろいろ使える技があってこそ、選べる道も増える。日本にも、日本企業にも、そして日本人にもいろいろな選択肢が用意されていると思う。しかし、技がなければ結局選択できずに流されるだけだ。今年のテーマは「技」で決めた。



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